2012年2月26日日曜日

聖書の読み方

近年、「○×の法則」とか

「私はどうして○×△で成功したか」等と言うような

スキルアップを目指すような本が、売られている。

そういう類の本は、ヒットして、

多くの人々に読まれているようだが、

はたして、その本を読んで、

ビジネスや生き方が変わって、成功したのか?

と、問われるときに、多くの人々は、

首を傾げるに違いない。


 僕の知り合いで、定期的にファミレス等で集まり、

参加者それぞれが、読んで感動したり、勉強になった本を、

紹介し合う、というようなサークルをしている人がいる。

そこに集う人々は、一流のビジネスマンであったり、

会社の経営者であったり。

集まる目的は、

自分自身の人生を開いてゆきたい!高めてゆきたい!

というような、熱い思いを持って生きている人々が、

参加しているようだ。

僕も、可能であれば、そのような集いに参加して、

スキルアップをしてゆきたい!と思ったことがある。


 しかし、考えてみよう。

僕に与えられている本の中で、

僕の人生だけではなく、この地球上に生きる人々

全てを導く素晴らしい本がある。

それは聖書。

未だかつて、このような本に出会ったことは無い。

だから、この本の感動を、人々に伝えてゆきたいと

心から思っている。

 
 今日のタイトルは「聖書の読み方」としたが、

決まった読み方は存在しないと思う。

なぜなら、神がこの世に生きる人間、一人ひとりに

与えられた本であって、誰にでも理解できるように

書かれてあるから。

だから僕は、この本をこれからも大事にしてゆきたい。


~天性の虐められっ子で、学校は不登校、結局、


勉強を解ける喜びを知らずに、悲観的に生きてきた青年が、


聖書に出会い、人間の言葉によらず、神の言葉を選び、


そして、今までの悲観的と思えた人生は、実は、


神の素晴らしい摂理を知るために、青年に与えられたものであった。~


 この青年とは、僕のことです。

人生、最悪、最低、もう、どうしようもない、誰からも見放されるような

者であっても、神だけは、決して見放さない!

その、ものすごい神の愛情を受けて、この26年間の信仰生活を、

完全に、守ってくれた!

このような人生を、神が導いてくれる!素晴らしい保障が、

確かにあるんです。すごいでしょ?!

だから、皆さんにも、聖書を読んでほしい。


 ゴスペル歌ってるんでしょ? その基となる本に、

神のすばらしいメッセージに興味ないですか?

あなたに、神から来る、豊かな祝福があるように。

僕があなたのことを知らなくても、神はあなたを知ってるよ!

だから、祈ってる。キリストのお名前によって。

アーメン

2012年2月18日土曜日

ほんとうのひかり

「主は光♪ 主は御霊♪」 という賛美歌を

子供の頃に聴いた記憶があって、

その言葉は、ずぅ~っと、僕の記憶から離れることがなかった。


今思えば、神様が私の心の中に、留めてくださったのだなぁ。

と、感謝している。


さて、今日は滝川市で行われた「ランターン・フェスティバル」だった。

商店街を、紙袋で作ったランターンで飾って、街中を明るくしようという(?)

イベントだったのだが、僕には全く興味が無くて、観に行くことも無かった。


夏は花火を観て、冬は暖かいストーブの炎を観て、

私たち人間は、感動を覚える傾向がある。


昨年の、札幌で開催された、豊平川の花火大会の時間に、

丁度、そのイベントを知らずに札幌入りした。

多くの見物人が、花火を見つめて、驚きの歓声を上げていた。

そのとき、主は私に語られた。


「多くの人々が、人間が作ったものを見て、それに捕われている。

だから、私が(主が)光であることを人々に伝えなさい。」


ほんとうの光を知った人々が、主が光であることを伝えるならば、

この世界はもっと、ましな世界に変わってゆくだろう。

神は私たちに、語っておられることを、みんなが知るならば、

人間は、神の御心を求めて生きてゆくことを喜びとするだろう。

しかし、現実は、、神の御心よりも、この世と妥協し、

神の御心よりも、人間の快楽を追求している。

この時代は、イエスが語られた「人々の愛は冷たくなる」時代である。

と言うことは、主の御心を求める人々は、物珍しく観られる時代なのだろう。


主よ。もっとあなたの御心を教えてください。

終わりの時代に生きる私を憐れんでください。

困難な時ですが、どうか灯火の油を絶やすことなく、

生きてゆくことが出来るようにしてください。

主イエスのお名前によって、アーメン

2012年2月17日金曜日

秘密の場所

昨年より職業訓練を受けていまして、

来月の中旬に、全ての訓練を終えます。

この一年間、いろんな分野の、いろいろな方々に

ほんとうに、お世話になりました。

ありがとうございます。


また、別なところで、一年間、

な~んにも言葉をかけてこられなかった方々、

ありがとうございます。

そのお陰で(なのか?)僕の心には確信が生まれ、

僕に与えられた導きは、神から与えられた特別なものであったことが、

理解できました。


なので、すべての出会いと別れ、誤解と偏見に、

「ハレルヤ!!主は、生きておられます!!」と叫びたい。

誰にも理解できない領域の中にこそ、神の豊かな恵みがあり、

神ご自身が、私を育ててくださる。

だから、神の御翼の陰に、宿り続けるものでありたい。


「私の口のことばと、秘めた思いが、神様に喜ばれますように。

ああ、私の岩、私の救い主、主よ。」 詩篇19:14

2012年2月16日木曜日

くるまが、、、!

先週末まで、
インフルエンザで寝込んでいました。
きっと、今までの疲れもあったのだろうな。
ものすごい時間を睡眠に使っていました。

さて、インフルエンザで寝込んでいる間に、
事件が発生!
隣の屋根雪が、僕の車に直撃!
車はおもいっきり潰れてしまい、、、

いろいろ書くと、お呼びでない問題も
膨れ上がりそうなので、
ここでは書かないことにしておこう。

まぁ、
いろんなことが僕が寝込んでいる間に、
山のようにあって、
それが殆んど解決された頃には、
僕のインフルも何処かに飛んで行きました。

事件が発生してから、
2週間近くになりますが、
未だ修理が出来ておりません。

どうなることやら。

2012年2月13日月曜日

あいをこめる



もし僕が、なにかを作る者としよう。

例えば・・・お菓子類、ケーキとか。

味やデザインに拘った、ステキなケーキが完成されたとしよう。


そのケーキは人気が出てきて、お客のリピートも凄くて、

大ヒット商品になって、

さぁ、生産が追いつかなくなってきた。

このケーキの生みの親だから、やっぱり初めから持っている気持ちで、

商品を提供したいのだが、、。


一品でも多く、お客様のもとにお届けしたいから、従業員を雇おうと考えた。

さて、毎日忙しいなかで、即戦力になる従業員も増えて、

ケーキの生産は、2倍、3倍に増え、ようやく需要と供給のバランスがついてきた。

しかし、どこかが変だ。なにかが、おかしい、、、。

初めのうちは、愛情が込められて、祈りが込められて、出荷していったものだったが、

いつの間にか、愛情よりも生産性、祈りよりも、商品の名を高める、

そういった心に変わってしまった。


初めの気持ちは、シンプルで、確かに喜ばれるものであった。

でも、もうすっかり、変わってしまったのだった。

こんな、たとえ話を思い起こさせられたのは、

ちょっとした物事が、最近あったからだ。


人間は、弱く、どうしても自分を守ろうとしてしまう、愚かな生き物だとおもう。

まるで、アダムとエバが、葉っぱで身体を隠したように。。。


キリストの身体の中に、専門家が入ってくると、

その身体は専門家のものになってしまう。

キリストの身体の中に、ビジネスマンが入ってくると、

その身体はビジネスマンのものになってしまう。

キリストの身体の中に、教育者が入ってくると、

その身体は教育者のものになってしまう。

それほど、キリストの身体は、繊細なのである。


もし私が、何かの専門的な意見を、キリストの身体の中で発言するとき、

わたしの意見が、キリストを追い出しているのではないだろうか。

そういった些細な物事が、キリストの身体の中で、

数え切れないほどあるんじゃないかと、

この世界に問いたいのである。


僕は、何者だろう? そして、あなたは何者だろう?

ただシンプルに、愛を込めて、生きてゆきたい。

生産性を求めて生きることは、良いことではあるが、最善策ではない。

美味しいケーキは、みんなに我慢してもらって。

2012年2月12日日曜日

ものをつくる。ということ

画像は、僕製作のゴミ箱。

なかなか良い仕上がり。

製品は、一年後の学校のバザーで売られ、

その売り上げは、訓練の材料を買うための、

資金になるようだ。

僕の父は、若い頃から建具職人として、

住宅や店舗、他施設での

いろいろなものをつくる仕事をしてきた。

いまは現役を退いて、

某会社のパートタイマーとして働いている。

僕も今後の人生、許されるならば、

手に職をつけて、働きたい。

今回は、いろいろな企業を調べ、

資料を取り寄せ、

自分の可能性を考える機会が与えられた。

しかし、日本社会の未熟か、もしくは、

己の不十分さが招いたのか、

道は、ことごとく塞がれ、前に進めない。

そんな状況だ。

神の恵みによって、

安息日の礼拝に導かれたのだが、

他の労働については、

まだはっきり決まっていない。

訓練終了まで、あと一ヶ月ほど。

この時間を、楽しみに生きて行きたい。


なにかがある

前回、面接の事を書いて、その後。

幾度か時間変更があったが、

なんとか無事に面接は終わった。

この契約は業務委託、ということで、

進められるので、会社に入って

時間を拘束させることはないので、

気分的には、楽である。反面、

いっぱしの社会人としての代表として、

お客様に一番近い所に居るわけだから、

僕の言葉や姿は、ある意味メーカー代表者。

だからやっぱり、大変と言えば大変なのかも。

これから、契約書を交わして、

数時間の講習を受けて、

業務に入ることができる。


断捨離キャンペーン中

まだまだ転居の為の作業進行中。 完全なる転居作業終了は、 26日の旧住居の鍵の返納で幕を閉じます。 その前に、いろいろと処分するものが沢山あって、 今日は一番大きいモノを引き取っていただけました。 聖書の中の一節に 『地上では旅人であり寄留者である』という言葉のとおり、 自分自身...