主イエスへの信仰をいただいてから、
僕の生きている環境は変わったけど、
はじめから変わらないものがあると思う。
そのひとつはイエス様への「賛美」かな?
まだ信仰をいただく以前より、音楽が大好きで、
歌うことは、生活の一部でした。
けど実際の僕の心は、歌うことで現実から逃れるような、
そんな感じの日々を過ごしていました。
なので、
現実問題はいつまでたっても解決せず、
逆に、自分自身を困らせて、
傷つけていたんだと思います。
きっと自虐行為ね(汗)。
さて、主の救いを受けてから、
僕の心には今まであった
「現実逃避癖」は無くなり、
現実を直視し、問題に向き合い、
苦しくても主を見上げつつ歩む、
というような感じの心になっていきました。
(急激に変化したものではなく、少しずつ訓練された)
そんな状況のなかにあっても、
やっぱり、歌を歌うことは
生活の中にあったわけですが、
しかし、古い自分と明らかに違うのは、
「神様への賛美」をいつも口ずさんでいたこと。
どんなに苦しくても、
神様がいつも僕を励ましてくれるし、
助けの道を示してくれる。
僕の一番の理解者で、助言者、そして救い主。。
そして唯一、ほめたたえられる方。。。
そんなことを賛美の歌を通して、
僕の口は、神様を自然と賛美するようになってきたんだと。
しかし、困難なことは信仰生活の中にも実際あって、
僕が歌う賛美を受け入れられないクリスチャンが多かった。
「兄弟、あなたの歌は肉ですよ!」と
いうようなことは、いつも言われていました。
でもきっと、
そのような助言をしてくださったクリスチャンの皆さんは、
伝統的な賛美歌こそが、唯一、神を賛美する道具、
と思っていたように思います。
僕は、僕なりの賛美の表現をしてきたつもりです。
それと、一番のキツイ言葉は、
近しい人や家族の「下手糞!」というコメントでした。
肉の家族は、いつも表現が直球で、
家族の言葉に免疫がついている僕でさえも、
それは心を揺らすような表現でした。
今日、友人からメールを頂き、
その中に、ぼくがやってる音楽活動についてのコメントがあって、
ただ単純に、嬉しくなりました
友人のコメントは
『変な希望やお世辞を言わない俺だけど
(音楽やってる友達には毒舌洗礼食らわせた)
歌っている一曲でも、人を呼べる力があると感じました』
賛美の活動を通して、有名になりたいとか、
プロになってみたいとか、
そんな気持ちは全く無くて、
ただ僕は、
僕自身が賛美の歌を通して励まされてきたし、
神の愛、大きさ、豊かさを知るきっかけとなりました。
だから、僕が与えられたように、
誰かが、神様を知ることが出来るのかもしれない。
そんな思いがあって、
動画をインターネット上に載せることにしました。
友人のコメントを改めて読み返し、
「人を呼べる力」って、きっと神様なんだなぁって思います。
神様が僕を救ってくださったように、
友人も神様によって救われることを祈っています。
お互い、忙しい立場にあって、
なかなか会えませんが、神様は不思議な導きを通して、
救いへと導くでしょう。
ハレルヤ!