日曜日のL.U.V. J.BANDの練習前に
札幌芸術の森へ紅葉を観に行ってきた。
美しい紅葉を創造された方は、
このような小さき者に、
創造の業を味わわせてくださった。
さて、昨夜の祈り会で開かれた
聖書箇所を再び味わいたい。
詩篇 1:1-3 JA1955
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
神を信頼している者の人生は、まるで
『水路の流れの傍に植えられた木』
決して乏しくなることは無い。
いつも、神の祝福を味わい、満たされている。
確かに、強い風が吹くこともある。
時には嵐のような状況も経験する、
枝が折れてしまうこともあるだろう。
しかし、神から流れてくる祝福と恵みは
決して尽きることは無いのだ。
そう言えば昔、僕がまだ高校生の頃に
聴いたゴスペルが、僕を救いへと導く
きっかけとなった。
その歌詞の元のみ言葉は、
まさしくこの箇所であった。
僕は、その歌を聴いて、
「僕も、この木のように、安らかになりたい!」
と、強く願った。
そうすると主は
「私のもとに来なさい」と、
幾度も僕に語られたのである。
あれから26年(?)
振り返ってみれば、
沢山の失敗と思えるような経験を
幾度も繰り返した者であったが、
その都度、神は私に御手を差しのべ、
助けてくださった。
詩篇 1:1-3 JLB
悪人の入れ知恵に耳を貸したり、罪人といっしょになって神様をあざけったりしない人は、なんと幸いなことでしょう。 そうした人は、神様がお望みになることを何でも喜んで実践し、いつも、おきてのことを考えては、どうしたらもっと神様に近づけるかと思いめぐらします。
そのような人は、川の土手に植えられた木が、毎年欠かさず甘い実をつけるのに似ています。 その葉は決して枯れず、することなすこと、みな栄えます。
ハレルヤ!
主よ、あなたはこのような小さき者を、
祝福したいと願っておられます!
あなたの豊かな御愛に、心の底から
感謝と賛美をおささげします。
アーメン
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