2011年12月26日月曜日

もういくつねると

タイトルを読んで、お正月のネタか?
と、思った人も多いと思いますが、
僕と同じく職業訓練を受けている人々には深刻な問題が。
それは、訓練の終了、卒業の時期が近づいているのです。

今年の四月より訓練が始まり、めまぐるしく時間が過ぎ、
あっという間の八ヶ月。

折角、訓練を受け、多くの資格を得たとしても、
多くの会社は即戦力を求めています。
会社側は「使える人材」を求めています。

そう思うと、いままでの訓練期間は、
いったい何だったのか?!ということになるのですが、
これは日本のあちらこちらで問題になっているんだと思います。

僕は、過去に就職してきた会社は、現在無かったり、
思いっきり傾いて再建するのがやっと、、、という会社だったり。
なので、履歴書はすごいです(笑)。

その後、30代に入ってから、
教会のスタッフ(有償)という形で仕事をしてきたもので、
一般の会社から僕の履歴を観るならば、
大変ユニークなのかもしれません。

でも、イエス様が全てを導いてくださったから、
いままで生きてこられました。
どんな大問題があっても、
全てを祝福へを変えてくださったのです。
だから、今回の状況でも、
全てを、自分が思ってもみない方法で導かれると信じています。
全ては、神様を賛美するためにあるんだと、
僕の小さな人生でも、ね♪

イエス様、あなたの大いなる業を観て、
僕と回りの人々が、あなたを賛美しますように♪
ありがとう、イエス様。


2011年12月25日日曜日

2000を超えた

多くの方々に、

僕のつたないブログをみていただきました。

ちょっとしたことしか、書いていません。

というか、ちょっとしたことしか、書けません(汗)。

日本語も上手ではないです。

ですから、これを読んで、不快になってしまった方々、

本当に、申し訳ありません。

これが、僕なんです。

でも、こんな僕でも、

イエス様に愛されています。

こんな僕の人生を、イエス様は祝福してくださっています。

ですから、今後も、イエス様の祝福が、どのようなものかを、

このブログで、書いてゆきたいです。


気がつけば、このブログは、

数年間に渡る、僕の経験してきたこと、

また、ちょっとした思い出などを、

ちょこちょこと、書いてきたのですが、

ある一部の方から、クレームがあり、

一度、閉鎖しました。

でも、それは外野の野次のようなもので、

僕に与えられた試合は、イエス様が監督で、

周りのオーディエンスは、そのほとんどが、

自分を知らない人々。

この世の中が、そうであるように、

インターネット社会も、同じ。

いろいろな経験をしてきているのだから、


きっと、どこかで、

僕の経験や、思ってきたことが、

誰かのお役に立てるのかもしれません。

だから、書き続けようと思いました。

きっと、イエス様も、喜んでくださいます。

このブログのURLは、一度閉鎖したものを

再取得しました。

ですから、このブログのカウントは、

これを書いている時点で2008ですが、

もっとあるんだと思います。

毎日は無理、定期的にも無理。

少しずつ、少しずつ、

書いてゆきます。

ですから、これを読まれているみなさん。

たま~に、御覧ください(笑)。


2011年12月25日 Hallelujah☆Garden 主宰 タテウチタカオ




恵み

人の名前ではないよ。

私が信頼しているお方、その存在が「恵み」。

「恵み」以外に、なにが存在しようか!!

全能者から与えられている、一方的な「恵み」によって、

わたしは、この一年、生かされてきた。

ほんまに感謝!!

ありがとうイエス様♪

あなたの御言葉を頼りに、

いつまでも、ついてゆきたいです。

2011年12月19日月曜日

救われた

先日の某老人施設での慰問で、
わたしは神が語ってくださり、
多くの老人が救いに導かれたのを知った。

きっと既存の教会の聖職者であるならば、
「ここにおられる、どなたが信じましたか?」と聞くのだろうが、
それは、神が一番知っている。

ある人は、涙を流しながら、ある人は、手を合わせて、
必死に祈るようなしぐさをしながら、賛美を聞いていた。

その施設でのイベントを終えて、会場を出て自分の車に
乗り込もうとしたときに、神は「救われた」と、私に教えてくださった。

先月のワークショップが終わってから、
いろいろ不思議と思えることが続いているのだが、
その全ては、全能者であり、この天と地を創造され、
そして私たちを愛しておられる神が導いているものであることを、
思わずにはいられない。

イエス様、ほんとうにあなたは、救い主です。
ありがとう。

まじわり

クリスチャンの間で、
コミュニケーションを図ることを「まじわり」と言う。
教会の礼拝の後に食事しながら、
または、お茶のときに雑談、
聖書を開きながら、御言葉をわかちあったり、
そしてお互いの祝福を祈りあったり・・・。

そんなことを思いながら、

年末を迎えて、
いまは、どこもかしこも忘年会。
日本人は季節のお祭りごとが好きなようで、
この忘年会もすっかり、季節の行事になっているようである。

先日、職業訓練を受けているクラスの忘年会が開かれて、
全員ではなかったが、クラスの仲間と、指導員(教師)の方々が参加されて、
和気藹々と会が進められた。

教室や実習場では、カリキュラムがある中での指導がメインであるため、
なかなか本音を話せない、というか、場のゆとりが無い。
しかし、みんなで鍋をつつきながらの歓談は、
本音がポロッとでてくるものである。

しかし、その本音は、
誰かを非難するものでもなく、文句を言うことでもなく、
ただ純粋に、相手を心配するような表現だったのには、
私も驚いた、と同時に、皆の愛情を感じた。

そしてまた「まじわり」が繰り広げられている教会に目を向けてみれば、
探りあい、建前だけの会話などが、当たり前のように行われている。
そういう教会も少なくない。

私も幾つかの教会を知っているので、
そのような事を数多く目にしてきたし、経験もしてきた。
心に傷を負っているクリスチャンが、なんと多いことだろう。

日本の国の中にクリスチャンの人口は1パーセントという数字が
言われていることは、ここ20年~30年変わっていないのではないだろうか?
その理由は、どのような事があげられるのだろうか?
時間経過と共に、高齢化が進み、弱体化も進んでいる教会は、
今後、どのような道を歩むのだろうか?

私が危惧していることは、人数に目を向けすぎていることだと思う。
あまりに、誰かを守ろうと必死になりすぎるゆえに、
逆に誰かを躓かせて、教会から離そうとする闇の部分があるのだと思う。

このままで良いのだろうか?
救いを求めて教会の扉を叩いた、多くの人々が、
教会から、自分の都合の悪い人々を追い出し、
そして、気がつかない、きっと彼らは最後まで気がつかない。

現代を生きる私たちクリスチャンは、
何かを間違えて、生きているのではないだろうか?
今の教会のシステム化された物事は、
本当に正しい物事なのだろうか?

神が私たちに与えられたい祝福は、
私たちが思っている以上に、莫大なものなのかもしれない。

私たちは真実な「まじわり」をすすめてゆきたい。
きっと、そのなかに本当の愛が表れるのだと思う。
そうすれば、誰も躓かない。喜びがあるから。
そうずれば、もっともっと、多くの人々が
主の十字架の御業を見て、救いを求めるだろう。

そう信じている。

2011年12月15日木曜日

かゆい

今年は春から思ってもみなかった札幌での活動や、
John Lucasのライブ、そして先月のワークショップ&セレブレーション等で、
多くの時間とガソリンを使った。

ぶっちゃけ、三月末に納車された車の走行距離は、購入時から
2万5千キロを軽く超えていて、それだけ活動に力を入れていた
(動かされていた?)のだと思う。

さて、先月のセレブレーションの前日より、喉が腫れてしまい、
完全に調子を崩してしまった。最近まで、咳と呼吸困難、
気を失う、全身の痒み、なんだか知らないですけど、
いろんな症状が出まくりまくりでした。

いまだに痒みは表れて、
先日は某ファミレスのパフェを食べている時に全身の痒みが発生!
そして意識が遠のいてゆく自分がありました。
これはきっと笑い事にはならないと思うのですが、
それだけ身体を酷使してしまったのだと・・思います。

でも、やっぱり感謝の言葉しか出てきません。
本当に激しい一年で、いろいろな経験を通してくださった神様が
近くにいてくださり、そして正しい道へと導いてくださった。

バンド練習するために、往復4時間は、ただでさえ忙しかった自分には
きっとキツカッタのかもしれない。

家庭の事情で、家では音を出すことができないもので、
実際、本当に楽譜を確認して、リアルな音を出せたのは
スタジオでの練習の時でした。

ですから、本当にバンドの皆さんにはご迷惑をかけてしまった。
Johnも、きっと僕のミスタッチなど等、
ほんとうに辛抱されたのかもしれません。

いまようやく、心も体調も落ち着いてきて、頭が整理されつつあります。

今年の春から職業訓練を受けている身分で、生活支援給付金を受けて生活しているもので、
現実を思えば、出費を出来るだけ抑えての生活です。
でも、それでも神様は自分を札幌へと導いてくださって、
ほんとうにチャレンジを受けました。

今月も、L.U.V in Jesusの出演するイベントに参加させていただく機会があたえられていて、
日々の生活は大変で、辛いこともたくさんありますが、神様が許された道を、喜んで、
期待をして歩み続けたいと思います。

これを綴りながらも、全身かゆくて、すでに蚯蚓腫れ状態です。
これをみるときに、主イエスの鞭打たれた箇所を思い出します。
そう思うと、ほんとうに小さな物事なんだと思えます。かゆいけどね。

だから、かゆくても、 感謝感謝!!

断捨離キャンペーン中

まだまだ転居の為の作業進行中。 完全なる転居作業終了は、 26日の旧住居の鍵の返納で幕を閉じます。 その前に、いろいろと処分するものが沢山あって、 今日は一番大きいモノを引き取っていただけました。 聖書の中の一節に 『地上では旅人であり寄留者である』という言葉のとおり、 自分自身...