クリスチャンの間で、
コミュニケーションを図ることを「まじわり」と言う。
教会の礼拝の後に食事しながら、
または、お茶のときに雑談、
聖書を開きながら、御言葉をわかちあったり、
そしてお互いの祝福を祈りあったり・・・。
そんなことを思いながら、
年末を迎えて、
いまは、どこもかしこも忘年会。
日本人は季節のお祭りごとが好きなようで、
この忘年会もすっかり、季節の行事になっているようである。
先日、職業訓練を受けているクラスの忘年会が開かれて、
全員ではなかったが、クラスの仲間と、指導員(教師)の方々が参加されて、
和気藹々と会が進められた。
教室や実習場では、カリキュラムがある中での指導がメインであるため、
なかなか本音を話せない、というか、場のゆとりが無い。
しかし、みんなで鍋をつつきながらの歓談は、
本音がポロッとでてくるものである。
しかし、その本音は、
誰かを非難するものでもなく、文句を言うことでもなく、
ただ純粋に、相手を心配するような表現だったのには、
私も驚いた、と同時に、皆の愛情を感じた。
そしてまた「まじわり」が繰り広げられている教会に目を向けてみれば、
探りあい、建前だけの会話などが、当たり前のように行われている。
そういう教会も少なくない。
私も幾つかの教会を知っているので、
そのような事を数多く目にしてきたし、経験もしてきた。
心に傷を負っているクリスチャンが、なんと多いことだろう。
日本の国の中にクリスチャンの人口は1パーセントという数字が
言われていることは、ここ20年~30年変わっていないのではないだろうか?
その理由は、どのような事があげられるのだろうか?
時間経過と共に、高齢化が進み、弱体化も進んでいる教会は、
今後、どのような道を歩むのだろうか?
私が危惧していることは、人数に目を向けすぎていることだと思う。
あまりに、誰かを守ろうと必死になりすぎるゆえに、
逆に誰かを躓かせて、教会から離そうとする闇の部分があるのだと思う。
このままで良いのだろうか?
救いを求めて教会の扉を叩いた、多くの人々が、
教会から、自分の都合の悪い人々を追い出し、
そして、気がつかない、きっと彼らは最後まで気がつかない。
現代を生きる私たちクリスチャンは、
何かを間違えて、生きているのではないだろうか?
今の教会のシステム化された物事は、
本当に正しい物事なのだろうか?
神が私たちに与えられたい祝福は、
私たちが思っている以上に、莫大なものなのかもしれない。
私たちは真実な「まじわり」をすすめてゆきたい。
きっと、そのなかに本当の愛が表れるのだと思う。
そうすれば、誰も躓かない。喜びがあるから。
そうずれば、もっともっと、多くの人々が
主の十字架の御業を見て、救いを求めるだろう。
そう信じている。
2011年12月19日月曜日
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