「灯篭流し」
手前の白い灯籠は、子供たちのクレヨン画(たまに大人も)
僕も平和の祈りの言葉を灯籠に書いて流しました。
手前の白い灯籠は、子供たちのクレヨン画(たまに大人も)
僕も平和の祈りの言葉を灯籠に書いて流しました。
「中国新聞本社」
分科会の会場で、内容は「非核三原則」
中身が濃くて、未だレポート完成せず(汗)
分科会の会場で、内容は「非核三原則」
中身が濃くて、未だレポート完成せず(汗)
「鹿」
公園の鹿は、実は飼っているものではなくて
野生です。水飲み場にいた鹿は、
のどが渇いている様子でしたので、
蛇口をひねってあげると
水を飲み始めました。
ってゆぅか、かなり飲んでました。
公園の鹿は、実は飼っているものではなくて
野生です。水飲み場にいた鹿は、
のどが渇いている様子でしたので、
蛇口をひねってあげると
水を飲み始めました。
ってゆぅか、かなり飲んでました。
「広島城」
閉館後に来てしまいましたが、
快く入れてくださった警備のおじさま、
ありがとうございます。
しかし、隣の神社の駐車場には、
㊨の車が沢山あったけど、なんで!?
閉館後に来てしまいましたが、
快く入れてくださった警備のおじさま、
ありがとうございます。
しかし、隣の神社の駐車場には、
㊨の車が沢山あったけど、なんで!?
「厳島神社」
こんなに潮が引いているのは珍しいね、と
広島市民の友人に驚かれました。
こんなに潮が引いているのは珍しいね、と
広島市民の友人に驚かれました。
「平和記念式典前日」
明日の本番に備えて、会場の設置が終わっていました。
明日の本番に備えて、会場の設置が終わっていました。
「原水爆禁止2012世界大会・閉会総会」
広島でのプログラムを終えて、“WE SHALL OVER COME”
を歌いながら、幕を終えました。
もっともっと高らかに声をあげよう!!
広島でのプログラムを終えて、“WE SHALL OVER COME”
を歌いながら、幕を終えました。
もっともっと高らかに声をあげよう!!
こちらの折り鶴をモチーフにした塔に
全国から贈られた千羽鶴が供えられています。
皆さんの一折が、平和への祈りとなっています。
全国から贈られた千羽鶴が供えられています。
皆さんの一折が、平和への祈りとなっています。
総合体育館グリーンアリーナをメイン会場として
今年も原水爆禁止世界大会が開かれました。
本当に大きい会場で、閉会総会には
7千名以上の参加がありました。
今年も原水爆禁止世界大会が開かれました。
本当に大きい会場で、閉会総会には
7千名以上の参加がありました。
「広島市平和祈念式典」
初めて参列させていただきました。
テレビで観る以上の、厳粛さを味わい、
日本の平和を求める事の
大切さを痛感させられました。
初めて参列させていただきました。
テレビで観る以上の、厳粛さを味わい、
日本の平和を求める事の
大切さを痛感させられました。
電車道
あの原爆が落とされる前から、
同じ場所に電車が通っています。
自動車の量は増えましたが、
電車は確実に広島市民の足として
利用されています。
あの原爆が落とされる前から、
同じ場所に電車が通っています。
自動車の量は増えましたが、
電車は確実に広島市民の足として
利用されています。
あの恐ろしい惨事の記念として
ここに残されています。
67年前から、ずぅっと
ここにあります。
私達は、あの戦争を忘れてはならない。
ここに残されています。
67年前から、ずぅっと
ここにあります。
私達は、あの戦争を忘れてはならない。
「灯篭流し」
すっかり日が暮れるまで
2時間近く、この場所で灯籠を見ていました。
あの恐ろしい原爆で、沢山の命が消えました。
あの恐ろしい原爆は、今も威力を増し、
確実に存在しています。
もうこれ以上、私達を苦しめないでください。
その思いを、アメリカに伝えたい。
すっかり日が暮れるまで
2時間近く、この場所で灯籠を見ていました。
あの恐ろしい原爆で、沢山の命が消えました。
あの恐ろしい原爆は、今も威力を増し、
確実に存在しています。
もうこれ以上、私達を苦しめないでください。
その思いを、アメリカに伝えたい。
原水爆禁止2012年世界大会・広島大会に参加して
北空知ブロック・滝川代表 舘内孝夫
日差しが強い! 空港を降りた私が初めに感じた印象であります。67年前の夏も、同じように日差しの強い朝、あの大きな被害を生み出した原子力爆弾が、アメリカ軍によって投下されたのだと、改めて感じさせられました。
※~「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道もない。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった」~それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長エビを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。
(以上、平成24年8月6日
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 松井一實広島市長による「平和宣言」より抜粋)
あの一瞬の爆弾投下による被害は、67年経過した今に至っても、この日本にあり、原爆病に苦しみながらも生きている人々が未だに多くいます。もし今、この滝川市内中心部に原爆が投下されたらと考えると、非常に恐ろしく身震いがします。この滝川市だけに留まらない問題が、この日本を、そして、この地球を覆い、核開発によって威力を増した核爆弾の放射能による後遺症は、幾世代にも渡って私達を苦しめるのでしょう。だからこそ、今回、広島へ行き、この問題を学びたい、そして、核の問題を語り継げる者になりたいと思いました。
広島市では、年々減少している、被爆者の体験と願いを語り継ぐ伝承者養成事業を開始しました。
今回、原水爆禁止世界大会に参加した者として、この事業は非常に必要を感じます。核兵器廃絶、そして安全とは言い切れない、形を変えて日本中にある原子力発電所を無くす行動を、今生きる世代が、行動してゆかなければならないと強く感じさせられ、北海道に帰ってきました。
原水爆禁止世界大会は、この地球上に核の恐怖がある限り継続されるでしょう。だからこそ、この空知・滝川という小さな自治体の中にあっても、「核兵器を無くそう!」「核を利用した発電を止めよう!」と「非核三原則」が破られ、騙され続けた国民の一人として、高らかに声を上げてゆきたいのです。
最後になりましたが、原水爆禁止を掲げた草の根運動のご理解とご協力、そして、皆様が生きるために必要なお金を募金して頂いたことを、心から感謝します。ほんとうにありがとうございます。私たちは更に、活動を継続してゆきますので、是非とも、今後もご理解とご協力をお願い申しあげます。
※
原水爆禁止2012年北海道代表団の旅程には入っていませんでしたが、
北空知ブロック一行は自主的に広島市平和祈念式典に参列しました。
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