(原水爆禁止2012年世界大会への思いを書いた文章を載せました。)
平和を愛する自分
滝川在住 舘内孝夫
この度、原水爆禁止2012年世界大会に滝川の代表として、遣わされることになりました。
思い起こせば昨年、知り合いの方より「長崎の世界大会に行ってみない?」と勧められたのが、始まりで、細々と生活していた僕にとっては非常にチャレンジなことでした。
幸いにも昨年は、滝川市内のスキルアップセンター空知にて、一年間の代替訓練を受けておりまして、長崎での大会の期間は丁度夏休みということもあり、心置きなく長崎大会へ参加させて頂きました。
長崎は歴史ある街で、丁度「龍馬伝」のドラマで注目されており、観光地としても再び脚光を浴びている街ですが、私の心に感じたのは、なにか言葉では伝えられない重厚感ある街だな、という印象がありました。第二次大戦の末期に、大変恐ろしい原子力爆弾投下という、悔しく、辛く、痛く、悲しい歴史を歩んだ街です。
学生時代、教科書でしか味わったことのなかった、長崎の歴史の重み、しかも、現在も原爆の後遺症に苦しむ方々が、沢山いらっしゃる事を知り、核の恐ろしさを改めて学ばされました。現実問題としても、佐世保にはアメリカ軍の基地があり、湾岸沿いの地元の漁業との問題や、日本国や地元の自治体よりも、アメリカ側に権威があり、地元市民の土地を突然、「今日から軍で使います」と取り上げられたり、アメリカ軍の一方的で勝手な行動により、市民は大変な目に遇っている事を目の当たりにし、第二次大戦の後遺症は、長崎の人々にとって、未だ続いているんだな、というように強く感じられました。
残念なことに、長崎の工程の半ば、体調を崩し、後半の時間は隔離状態でしたので、不完全燃焼状態での帰路でした。
今年は、たまたまインターネットを通じて、長崎市内にて自営業をされている方と繋がり、仲良くさせて頂いております。彼が言っていた一言に強烈にインパクトがありました。
「同じ原爆投下でも、長崎と広島は違うんだ。祈りの長崎と怒りの広島・・・」
過去に起こった物事を修復することは一人の人間の力ではなにもできません。神に祈ることしか出来ない小さな者です。今、私達が住んでいる日本の中には、原爆に似ていて形を変えた物が50基以上もあり、人間の業によって作られたものなのに、一旦壊れてしまうと、誰も手に負えない、誰も解決出来ないような物が現実問題として存在してます。今後の未来に向けて、今の私達ができること、それは、おかしてしまった過去の過ちを認め、そして互いが赦し合い、励まし合いつつ、未来へ向けて解決してゆくことではないかと思うのです。
そのような思いを抱きつつ、今回、広島へ遣わされます。原水爆禁止2012年世界大会へ集う人々は、反核・反原発の思いを抱きつつ、広島へ集まります。今後も継続して「核兵器の無い、平和で公正な世界のために」活動してゆくために、皆様の小さなご協力をお願い致します。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
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