コリント人への第一の手紙 2:11-14 JLB
人が何を考えているか、その人が実際にどんな人間であるか、本人以外にはわかりません。 同様に、神様の考えを知りうるのは、神の御霊以外にありません。 事実、神様は私たちに、この世の霊ではなく、ご自分の御霊を与えてくださいました。 それは、神様からの、すばらしい恵みと祝福という贈り物を、私たちが知るためです。
この贈り物について話す時、私たちは、自分が人間として選んだことばではなく、聖霊様によって教えられたことばを使ってきました。 つまり、聖霊様のことを説明するには、聖霊様のことばを用いるのです。 しかし、クリスチャンでない人は、聖霊様が教えてくださる神様の思いを理解することも、受け入れることもできません。 彼には、ばからしく思えるのです。 というのは、自分のうちに聖霊様をいただいている人だけが、聖霊様のお考えを理解できるからです。 ほかの人にはそれが理解できません。
学生時代、ラジオを聴くのが楽しい時期がありました。
今の若い世代も、きっとそうでしょう。
毎週の様に放送される番組を、楽しんでいた思い出が、
この聖書箇所を読んで思い出された。
私たちに与えられているゴスペル(福音)は、
主イエスの救いを受け入れ、神様の恵みの中に入れられた時から、
深く理解できるようにしてくださっていること。
どのような祈りをも、神様は信じる私たちの成長の度合いを見て、
応えを理解させてくださり、
また、いろいろな事件に遭遇しても、
これも、理解しやすいように、導いてくださる。
まさに、信仰とは、神様から与えられたもの。
自分が頑張って得たものでもなければ、
何かの訓練を通過して、合格して得たものでもない。
ただ、シンプルに、
神様ご自身が、私の罪の身代わりとして、
呪われた木に架かってくださった。
その事を信じ、受け入れた時から、
神様との距離が非常に短くなった様に感じているし、
ラジオを聴くように、神様の御心にチャンネルを合わせて、
祈ることが出来る。
なんと素晴らしい恵みでしょう。
そういえば、今ではラジオを聴かなくなりました。
大人になったってことでしょうか?
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