サムエル記上 2:12-17, 27-34 JLB
昔も今も、美味しいものがあると、それに飛びつき、
お腹いっぱいに喰らい、そしてある程度の時間が過ぎれば、
美味しいものを野獣の様に探し回る。
それこそまさに、レビの息子ように、毎日、同じことを繰り替えす。
僕達は、常日頃、神様へ賛美の歌を歌い、
喜びと感謝の心で満ち溢れているのだが、
一方、賛美を「美味しそうな肉」のように扱う人々がいることも、
現実問題として、受け入れなければならない。
その多くは、神様が聖なるお方であることを知らない人々。
クリスチャンと呼ばれていても、呼ばれていなくてもだ。
僕自身は、神様によって、既存のキリスト教会から、
ピックアップされて、今は神様の豊かな祝福を受けている。
今までは自分自身、食生活において、当たり前の様に、
肉を食べる機会が多かったのだが、
今は、その肉食生活から開放されて、
今では、ほとんど菜食主義に近い生き方をしている。
言っておくが、決してベジタリアンやビーガンを意識している訳ではない。
おかげで、以前よりも、霊的に敏感になってきていて、
神様の御心や、御言葉の意味を理解出来るようになってきた。
だからこそ、ここで発言したい。
神様へのささげものとして、賛美を歌うのであれば、
ゴスペルを宣教の道具として使うことは、
神様の前に大きな罪を犯していることを知ってほしい。
その影響故、多くの神様を知らない人々を、路頭に迷わせていることを、
キリスト教界は悔い改めるべきだ。
祭司エリの息子たちは、
小さいころから父親の祭司の務めを見ていたにも関わらず、
神様を蔑ろにしてきた。
これは最も重要であり、私たちは注目しなければならない。
どうか、もうこれ以上、 キリスト教界はゴスペルを
「美味しい肉」のように取り扱ってはいけない!!
「ある日、一人の預言者がやってきて・・」
人生が楽しく充実し、最高に幸せ~って思っている最中、
あなたの目の前に、神様が愛する預言者を遣わすことでしょう。
そして、あなたに厳しい言葉を置いてゆくことでしょう。
しかし、あなたは気がつくのでしょうか?
すでに終わりの時代です。
この先になにがありますか?
神様の御声を聞かなくてはならない。
人の声、教会の声、ゴスペルの指導者の声、メンバーの声、
いろいろな人々の声を聞いて、もしかしたら皆さんは、
「あぁ、皆に支えられて、本当に感謝だな」とか
思って、本当に必要な神様の声を聞かなかったら、
あなたの信仰は、真実ではない。
この終わりの時代だからこそ、
真剣に創造者を求めてゆきましょう。
あなたを母の身体から出してくださった天の父を見上げてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿