2012年5月24日木曜日

見えるようになる

 大人になってくると、

単純な言葉を忘れてしまう。

もっと主イエスの愛をお伝えしたい。

そんな思いがありながらも、

これがなかなか、まわりくどくなるのだ。


 主イエスの行動と言葉はいつも直球、

しかもシンプル、無駄がない。

盲人バルテマイの行動は、大人びていない。

幼児の様に単純に、主イエスのもとへ

どんな否定的な言葉を投げかけられても

一生懸命に走っていったのだ。


 だからこそ主イエスは最も単純な方法で

彼を盲人から、見える者へを造り変えられた。


マルコによる福音書 10:46-52 JLB

一行はエリコに着きました。 やがてその町を出ようとすると、大ぜいの群衆がついて来ます。 その時、テマイの子でバルテマイという名の盲目のこじきが、道ばたに座っていました。
 ナザレのイエスのお通りだと聞いて、バルテマイは大声を張り上げました。 「イエス様、ダビデ王の子よ! どうぞお助けを!」
 「うるさい。 黙れっ!」と、だれかがどなりつけました。 それでも、バルテマイはますます声を張り上げ、「ああ、ダビデ王の子よ。 お助けください」とくり返し叫びました。
 その声を聞きつけて、イエスはつっと立ち止まり、「あの男を連れて来なさい」と言われました。 そこで、人々はその盲人に、「運のいいやつだ。 おい、イエス様がお呼びだぞ」と告げました。  バルテマイは、はおっていた上着をぱっと脱ぎ捨てると、喜び勇んでイエスのそばに跳んで来ました。
 「どうしてほしいのですか」と、イエスがお尋ねになると、彼はもどかしげに、「先生。 見えるように、見えるようになりたいんです」と答えました。
 「わかりました。 さあ、もうあなたの目は治りました。 あなたの信仰があなたを治したのです。」イエスがこう言われた瞬間、彼の目は見えるようになり、イエスについて行きました。

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