イザヤ書 40:26-31 JLB
天を仰いでみなさい。 星は、いったいだれが造ったのですか。 羊飼いは群れを導き、それぞれの愛称で呼び、一匹でもいなくなってはいないかと数えます。 同じように神様も、星をぜんぶ数えます。 ああ、ヤコブよ。 ああ、イスラエルよ。 神様は苦しみを見て見ぬふりをしているから不公平だなどと、どうして言えるのですか。 まだわからないのですか。 全世界を造った永遠の神様は、絶対に疲れたり、ふらついたりしません。 神様の理解の深さを推測できる者は、一人もいません。 神様は疲れた者に力を、弱い者に活力を与えます。 若い人もくたくたになり、若い男もまいってしまいます。 しかし神様を待ち望む者は、新しい力がみなぎり、わしのように翼を張って舞い上がります。 いくら走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。
毎日、慌ただしく生きている私たちは、神の御業を忘れてしまい、
自分の視点で、物事を判断してしまう。
それが毎日繰り返されれば、どのような事になるだろうか。
まるで、目を閉じて、車を運転するようなもので、
その最期は非常に恐ろしいものである。
創造者である神を見るために、
私たちは、人生の道を一寸立ち止まる必要がある。
「天を仰いでみなさい。」
イザヤ書に書かれている小さな表現の中に、
私たちは現代社会を生きてゆくために必要なエッセンスが書かれている。
しかし、ただ空を見上げたところで、何が生まれるのだろうか?
イザヤが言いたかったことは、「天を仰いでみなさい。」である。
星空を見ていると気が付かない事がある。
実は、私たちが何気に観ている空の星は、
自らが輝く星だけであり、その他の光らない星は、
私達の肉眼では、勿論見えないものである。
空を仰ぐとは、その星そのものを見る行為だけでなく、
そこに示されている、全能者の御心を知る事である。
神の御心を知る者に与えられるものは、
揺るがない心、今より先にある未来、
今の社会状況を観るだけでは、沈んでしまうだろうが、
神の偉大なる計画を知るならば、
絶望では終わらない。
私たちは空を見、星を見て、さらに喜び、道を歩もう。
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