マルコによる福音書 8:35-36 JLB
いのちを守ることにばかり、あくせくしていたら、かえってそれを失います。 わたしと、この神のすばらしい知らせとのためにいのちを投げ出す者だけが、生きることの意味をほんとうに知るのです。たとい全世界を自分のものにしても、いのちを失ったら、何の得があるでしょう。
多くの人々が、
自分の生き方を守ろうと必死になっている。
特に地方に住む者にとっては、
職場が無くなったり、
自分の存在自体が危うくなったりする事が多いので、
これはまさに死活問題である。
もしかしたら、教会という組織が、
守りの姿勢に入っているとすれば、
主イエスの語られた言葉を
非常に重く受け止めなければならない。
主イエスの周りを囲んでいた多くの人々の中に、
確実に居たのが、パリサイ派と律法学者だ。
主イエスの生きていた時代は、
現実問題としてローマ帝国に支配されていたのだが、
パリサイ派も律法学者も、
ユダヤ人が昔から信じてきていたものを
宗教活動として利用し、生活をしていたわけだ。
そう考えると、今の時代と全く同じだと、
自分の心にすんなり入ってきた。
どのような地位の人々も、
いつの日か、自分の地位を明け渡す時がやってくる。
そう思えば、今の地位はなんと弱くてちっぽけなものではないだろうか。
神は、そのちっぽけなものから、解放してくださる。
自分が必死に守り抜いてきているものは、
じつは一番厄介なもので、
神との距離を引き離してしまうもの、
というオチをつけては、
なんともったいない人生を歩んでいないだろうか。
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