中国新聞 2012-10-01コラムより抜粋
チムグリサとは沖縄の古い方言だ。「肝苦(チム グリ)さ」と書く。人のつらさ、苦しみをわが身 のように感じることをいう。「かわいそう」より も「お気の毒に」よりも、もっとそばで深く相手 を思うこと……
なんと美しい言葉だろう、チムグリサ。
本州にはこのような表現はあるのだろうか?
残念ながら北海道には無い。
僕が感じる沖縄は、平和を強く願う人々が多い。
それはやはり、昔から悲しい事が、あまりにも多過ぎる気がするから。
北海道に住む僕は、沖縄へ行ったことが無いのですが、
昔は小さな島国で、今よりもきっと幸せに暮らしていた、
というイメージがある。
現代はどうだろう。
もし、自分の住んでいる隣に、米軍の基地があったら?
人の会話も掻き消すほどの騒音や、米兵による事件。
毎日の暮らしを脅かされている環境に
さらに問題が多い物が運ばれてしまった。
このような情況を思う時に
、
沖縄の人々の上に、軍事の力ではなく、
神様からの平和と慰めがあるように、
祈る自分がある。
日本の南と北で、大きなリバイバルが起きると、
誰かが言っているのだが、
、
これはきっと人数の問題じゃない。
聖書では、神様を信じている
たった一人の人に、神様は目を留めて
語られ、導くという記事が多い。
であれば、たった一人の忠実な下僕が、
神様の御前で、沖縄と沖縄の人々の為に祈っていたら?
これはもう、既にリバイバルではないだろうか?
さて、チムグリサという言葉を思う時に、
人間の思うこと、考えること以上に、働かれる神様を思う。
終末の時代の最中、きっと神様は忍耐に忍耐を重ね、
その時を待っておられる事だろう。
ノアの時代の時のように、方舟の完成の時は近い。
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