2012年12月31日月曜日

新しい携帯電話


昨日、友人が勤務している携帯ショップへ行って来た。

(手稲区手稲山口にある)

実は、滝川の自宅の1キロ先にも、同じ系列のショップがあるのだが、

いろいろなプランを親切に教えてくれたので、

遠かったけど、友人の方を選びました。


画像の青いストレート携帯は、実はウィルコムです。

もちろんPHSなのですが、これには面白い機能が付いていて、

Wi-Fiルーター付き、という優れもの。

今までドコモで使っていたタブレット端末は、

まだまだ使えるので、電子書籍も利用してるし、

また最近はLINEも使っているので、

この端末は捨てがたい、だけどドコモの料金は高い気がしていたのです。

いろいろ考えた末に、この携帯に決めました。

携帯端末自体は、非常にシンプルで、通話とメールだけ。

他は、タブレットのアプリを上手に使ってゆけば、

かなりお値頃な利用料金で、使えそうです。

良かった~(^▽^)

2012年12月26日水曜日

白髪頭なのです。

今年ほど、周りの皆様に、

僕の白髪がスゴイと、言われた年はありませんでした(笑)。

そう、一昨年(だっけ)長く務めた職場を離れてから、

急に増えたみたい。

年齢も年齢だから、しょうがないかな?

職訓へ通っていたときは、給付金で生活出来ていたので、

エチケットとして、髪を染めていたんですけども、

卒業してから、そういうことも一切、出来なくなってしまったので、

髪を染めることを、半年程していませんでした。

そうしたら、自分でもビックリするくらいの白髪の量で、

これは、もう安くてもいいから、

色着けようと思ったわけです。

今は◯イソーのヘアマニキュア(315円)を

使っています。 はい。

2012年12月18日火曜日

願いはかなう?

詩篇 37:3-5 JLB


神様を信頼して他人を思いやり、親切にしてやりなさい。 そうすれば、この地に安住し、成功を収めることもできます。
 神様を喜びとしなさい。 神様は心の願いをみな、かなえてくださいます。  自分のしようとすることをみな、神様にゆだねなさい。信頼する者を、神様は助けてくださいます。 



このみ言葉に「神様は心の願いをみな、かなえてくださいます」と

書いてあるから、神様を知らない人はきっと、

自分の欲望をなんでもかなえてくれる、と

思い込んでしまうのかも知れない。



その大前提として、「神様を信頼」するところから始まるのが、

クリスチャンと呼ばれる生き方なのだと思う。

神様を信頼すると、どのような人生を歩めるのか?

そのように疑問に感じられる人も少なくないだろう。



僕の今までの経験(体験)からすると、

神様を信頼する道を歩むことを決めて生きるならば、

神様からの素晴らしい祝福が与えられる。

その祝福とは、時には形になって現れる時もあれば、

形のないものとして、自分自身の内面に現れることもある。



神様からの祝福の総ては、僕に最も必要なものであるから、

神様がいてくださるからこそ、心の願いがかなえられるのだと思うのです。



僕の人生経験は、総て必要だったと思うと、

なんと神様は、その総ての領域の中に、確実にいてくださった。

素晴らしい神様を心から賛美したいです。

12月19日(水)千歳市内病院イベント出演

今年最後の演奏は、千歳市内の病院クリスマス会での演奏です。

練習時間は少なかったですが、心を込めて賛美をおささげします。

2012年12月11日火曜日

携帯が・・・

そろそろ携帯電話を買い換えしようかと悩んでいる。

今のそれは、ほぼ二年経過して、当時は最新だった機種だったが、

アプリケーションの進歩故か、動きはかなりシンドそう(汗)。

今利用している携帯会社は4年ちょい、利用させてもらっているのだが、

確かにサービスは良いし、利用している機種も最高だと思っているのだが、

経済的に考えてみると、非常に大きな出費を強いられている事に、

今頃気がついた。遅。


さて、手元の携帯がヤヴァい最中、

次の機種はどんな物が良いかをネットで調べている自分がここに居る。

2012年12月2日日曜日

僕の願いは


「僕の人生は、イエス様が包んでいる。

僕の心は、イエス様が癒してくれた。

だから、心からあなたを、イエス様大好き!大好き!と言う」

(舘内的、直感訳)


当時のKIRKの純粋な気持ちが表れている楽曲は、

地元でゴスペルを指導していた頃、よく歌っていたものだ。

あの頃が懐かしいぁ。

機会があれば、今関わっている人たちにも、

この楽曲を指導できたら嬉しいが、

その機会があれば嬉しいなぁ。

2012年11月30日金曜日

12月5日(水)札幌社会福祉協議会イベント出演

来る12月5日(水)札幌市社会福祉協議会様のイベントに出演致します。
お近くの皆様、是非とも足をお運びください。

2012年11月29日木曜日

真の輝きから

ヤコブの手紙 1:14, 17 JLB

人は自分の悪い考えや願いに引きずられて、誘惑されるのです。 

すべて良いもの、完全なものは、光を造られた神様から来るのです。 神様には、わずかの変化もくもりもなく、いつまでも輝いているのです。 



この世界に生きている私たちほど、

不完全な生き物はいないのでしょう。

動物や植物は、地球の大きな流れによって生きているのに、

なんと人間は、この地球を汚し、痛めつけ、

破壊への道を創り上げてしまった。



だから、可能な限り、

神様の御心を知り、そして、

神様の道を歩んでゆきたい。



神様が創造された世界の中で、

神様のご計画の中を歩むときに、

神様と私との間には、きっと、

美しいハーモニーが生まれるのでしょう。

2012年11月28日水曜日

ここ数日

ここ数日、いろいろな物事があり過ぎで、感情が交差しています。

ブログでは、頭の中にあることを出来るだけ表面に出そうとしていますが、

纏まっていないことも、文章にすることで、頭の整理が出来ます。

でも、今日は無理をしないで、寝ます。

また明日。


2012年11月24日土曜日

愛のキャッチボール


小学生の頃、体育の時間だったか、学校にあった革製のボールが

顔面に大当たりして、頬が真っ赤っ赤に腫れ上がった、

という思い出がある。

当然、痛いやらびっくりしたやらで、半べそをかいた。

(きっとあの時から、頭が悪くなったのかもしれない。笑)



知らない間に、大人と呼ばれ、一般社会に出るようになってから、

生まれも育ちも異なる大人たちと一緒に仕事を熟すようになり、

いろいろな事を学ばされた。



私たち人間は、他の生き物とは違い、言葉という形の無い道具を持ち、

現在も言葉を巧みに駆使しこの現代を生きている。

反面、社会の片隅で生きている人々は、

言葉を上手に使えない人も少なくない。



神様が私たちに与えられた言葉は、本当であるならば、神様を賛美し、

愛の言葉を語るように創造されたのだが、この社会を観るならば、

多くの人々は、憎しみや妬み、不満等など、

そのような言葉を発する人の近くに居るだけで、

具合が悪くなるような、そのような空気を感じる。



20年ほど前の話、とあるレストランがお気に入りで、

そちらの町へ訪問する機会があれば、

必ずと言って良い程、そのお店に寄って食事をしていた。



しかし、ある時、いつものようにお店へ行き、食事をしていると、

なにやら、何かが違う、という感覚になり、

ふっと後ろの席に座っている方々の話に

意識をもってゆくと、なにか非常に雰囲気の悪い会話をしていた、

という事が思い出された。



せっかく素敵な環境に身を置いているのに、

心の中は誰かに対しての不満でいっぱい。

そんな人々が多いのかなぁ、なんてもったいなぃ。

という気持ちでお店を出た記憶があります。



ゴスペルを歌うことで難しいのは、

経験もしたことのないような事を、歌で表現すること。

でも、なんとか頑張って表現しようとしている人々も少なくない。

「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」 という言葉があるが、

決して、そのような表現者にはなってもらいたくない。

それは単なるパフォーマーでしかない。



そう、小学生のあのボールの痛い思い出は、

コミュニケーションを学ぶに調度良い機会だったのかもしれない。

わたしたちは、相手に言葉というボールを投げるのだが、

その投げ方、そして言葉を受け取る側の、心を知る必要がある。



自分自身が投げるボールは、豪速球ではないだろうか?

相手に対して、キツイ言葉ではなかったか?

今のボールは、硬式野球のボールか? それともゴムボール?

自分が今まで投げ続けてきた数々のボールは、

相手が受け取れるような形のボールだったのだろうか?



ワーシップソングを歌う者の一人として、

神様への愛の捧げものと言っておきながら、

なんらかの技術に頼っていないだろうか?

自己点検が常に必要である。



小さい子供に、優しくボールを投げるように、

そのような心で、ボールを投げられるものでありたいし、

神様へPraise Youと賛美したい。

2012年11月22日木曜日

贅沢な時間


今日は所用で旭川ヘ行きました。

道中は、雪の為に道路状況も悪く、皆さんゆったりとした運転でした。




市内に入り、某所での手続き等を終わらせた後に、

ショッピングモールへ行き、遅めの昼食を頂きました。

このような形で、自分の為に1人でランチするのは珍しくて、

なんだか贅沢な気分になりました。




今迄は、誰かの付き添いや世話の為に、車に乗せて何処かへ行って、

という事をしてきたので、今日は本当に自分にとって珍しい時間を過ごせて、

ありがたい気持ちになりました。





神様との交わりも、やはり神様側から観れば、

一対一での交わりを求められています。

その時間は本当に祝福の時間なのだと思います。

神様にとっても、僕にとっても。


2012年11月21日水曜日

長いお付き合い



先日の投稿「仕えること」のカウントが、

尋常じゃないほどの多さで、驚きました。

というか、それほど「仕えること」について、

いろいろ考え、悩まされることが多いのかなぁ、

とも、感じられました。



ところで、僕に、長い間仕えている相棒、

というか、機械ですけど紹介します。

「ヤマハ・ポータトーンPSR-2000」

ゴスペルの活動を始めて、必要になり購入しました。

10年程、何処へ行くにも一緒に動いています。

もう音的には、古いんですけどね、

購入した当時の金額は16万程したんですよね。

今だと、もっと安く購入出来ると思いますが。

壊れちゃっったら、今後の活動に支障をきたしますので、

壊れる前に、新しい機械が与えられると嬉しいです。

祈りつつ、待ち望みます。

2012年11月18日日曜日

初雪



とうとう、雪の季節に突入しました。

いろんな事があったけど、

雪が降ると、嫌な思い出も消えてしまうように感じます。

来年の春には、今まで以上に良いことがあるように、

祈りつつ、備えをしてゆきたいです。

2012年11月17日土曜日

仕えること



ブログを読み返してみて、

あ~なんて文才の無い者だろうと思いました。

といって、なにか他の分野で、

ものすごい技術を持っているかと聞かれても、

特にございません(汗)。



ピアノを弾いても、ミスタッチの連続だし、

歌を歌っても、歌詞を忘れて苦笑いだし、

集中力がきっと足りないんですね(汗)。

もっと、精進してゆきます。はい。



さて、仕えるという事は、非常に大変な仕事なんだと思います。

自分が何かをやりたい、自分の持っているものを生かしてゆきたい。

という思いを、先ずは取り去って、

無の状態にしてから、改めて、自分が何をすれば良いのかを

見つめなおす事が必要だだ、って感じています。



いまは、無職者という立場で、この世の中で生きています。

日本国民、いや、世界中の生活困難者の気持ちを痛烈に感じます。

神様は、きっと彼らの為に執り成し祈りなさいと言われているのだと。



この世界は、必ず終わりを迎えます。

今まさに、その時代だのだと強く感じます。

私たちの主が、再びこの地上に来られるその時に、

いったい自分自身は、どのような形で

主をお迎えするのだろうかと、考えさせられます。



その時まで、仕える者でありたいのです。

あのバラのように、美しく咲きながら、

皆の心に静かに訴えるものでありたい。


2012年11月16日金曜日

神様からの恵み

コリント人への第一の手紙 2:11-14 JLB


人が何を考えているか、その人が実際にどんな人間であるか、本人以外にはわかりません。 同様に、神様の考えを知りうるのは、神の御霊以外にありません。  事実、神様は私たちに、この世の霊ではなく、ご自分の御霊を与えてくださいました。 それは、神様からの、すばらしい恵みと祝福という贈り物を、私たちが知るためです。
この贈り物について話す時、私たちは、自分が人間として選んだことばではなく、聖霊様によって教えられたことばを使ってきました。 つまり、聖霊様のことを説明するには、聖霊様のことばを用いるのです。  しかし、クリスチャンでない人は、聖霊様が教えてくださる神様の思いを理解することも、受け入れることもできません。 彼には、ばからしく思えるのです。 というのは、自分のうちに聖霊様をいただいている人だけが、聖霊様のお考えを理解できるからです。 ほかの人にはそれが理解できません。



学生時代、ラジオを聴くのが楽しい時期がありました。

今の若い世代も、きっとそうでしょう。

毎週の様に放送される番組を、楽しんでいた思い出が、

この聖書箇所を読んで思い出された。



私たちに与えられているゴスペル(福音)は、

主イエスの救いを受け入れ、神様の恵みの中に入れられた時から、

深く理解できるようにしてくださっていること。

どのような祈りをも、神様は信じる私たちの成長の度合いを見て、

応えを理解させてくださり、

また、いろいろな事件に遭遇しても、

これも、理解しやすいように、導いてくださる。

まさに、信仰とは、神様から与えられたもの。



自分が頑張って得たものでもなければ、

何かの訓練を通過して、合格して得たものでもない。

ただ、シンプルに、

神様ご自身が、私の罪の身代わりとして、

呪われた木に架かってくださった。

その事を信じ、受け入れた時から、

神様との距離が非常に短くなった様に感じているし、

ラジオを聴くように、神様の御心にチャンネルを合わせて、

祈ることが出来る。

なんと素晴らしい恵みでしょう。 



そういえば、今ではラジオを聴かなくなりました。

大人になったってことでしょうか?

2012年11月15日木曜日

歌うことの楽しさ


ゴスペルを歌うようになって、一番みんなに知ってほしいのは、

先ずは、歌う楽しさです。

あっ、自分ってこんな声を出せられるんだ!って。



今までに感じたことのない感動を味わえたり、

また、その体験を共有したり。

そうすることで、きっと生きていることが楽しくなったり、

毎日の仕事や家事で追われている中にあっても、

ゴスペルに来ることが、束の間であっても、

安らぎであったり、癒しの場であったりするわけです。

そういう場を創ってゆきたいですね。



だって、みんなに人間らしい生き方をしてほしいから。

現代人は、何かしらの奴隷のような気がしてならないからです。

ゴスペルの本題に入ってゆくのは、

きっとその部分がクリアしてからだと思うのです。



祈りつつ、祈りつつ、神様と、みんなに、仕えてゆきたいのです。

向寒の侯 え!?

そろそろ雪が降ってもよい気候です。

今日は、久しぶりの面接があるから、

印象良くしたいが為に、白髪染めて(笑)

ゆったりとした気分で会場へと行こうと思って家を出た。





車のエンジンをかけて、さて発進!

そこに通りがかった男性から

「タイヤがパンクしてますよ」


え?(汗)、




え〜そんなぁ、タイヤ交換する時間が無い!

偶々、父親が仕事休みだったので、

父親の車に乗せてもらって、面接会場まで行けました。


ありがとぅ父。


2012年11月14日水曜日

202

可能な限り、ブログを書き続けようと思い、

出来るだけ、心の中にあるものを出し続けました。ら、

なんと、200を越える投稿になりました。

ハイパー三日坊主の僕が、

よくぞここまでやってこれたなぁ、と、

記念に、机に向かいながら自分撮り。

選考会と面接

明日は、待ちに待った選考会と面接があります。

面接にやっと行ける喜びを、

こういう形で味わえるのは、非常に嬉しいです。

履歴書を送ってから20日程経過しました。




この半年以上の間、色々な会社へ面接の申し込みを

送っていますが、きっとこのご時世の故か、

(それとも残念過ぎる男故か?)

結果の連絡に非常に長い時間がかかります。




僕自身は、頭のキレがいまいちなので、

多くの人がやってる、同時に数社へ書類を送る様な、

器用な事が出来ないんです。

過去には色々な失敗を積んでいるので、

実例をあげれば・・・




3社へ内容の違う書類を提出するとしましょう。

A社へは、こちらの書類を送り、

B社へは、あちらの書類を送り、

C社へは、向こう側の書類を送り、

最終確認までして、書類を封筒に詰めて、

郵便局で送った~、としましょう。




だいたい、間違っています。

こんな失敗を繰り返すので、

これ以上失敗を積んだら、きっと崩れるでしょう(笑)。




仕事でも、迅速な要求に応えられるように動きたいのですが、

一つ一つの行動をチェックにチェックを重ねないと、

自分自身が納得して前へ進めないという、

大変に面倒で残念な性格です。

社会のスピードについてゆけません。

(なんて、こんな事を書いて、きっと採用企業はもっと減るのかもしれませんね)




世渡りは下手な男ですが、皆さんいかがでしょうか?

43歳の、おとぼけな男性ですけど?

独身ですけど?


涙を流すこと・・・





振り返ってみると、

自分が今まで経験してきたことは、

あまりにも特殊な事柄が多くて、

自分の心の中ではいつも

神様への助けの声をあげていた。




どうしようもない、大きな問題は、

僕の人生に直球で飛んでくるわけだが、

いつも、神様からの慰めを受けていた。

その一つとして、この歌がある。

「涙の中で」という賛美は、

随分、長い間、僕の愛唱歌としてきた。




♪そうよ 涙は賛美の泉 今は辛く悲しくても

イエス様の 愛の御業が始まる 涙の中で♪



どんなに大きな問題や悩みが襲ってきても、

イエス様はその都度、解決へと導いてくれた。

時には時間のかかることもあれば、

瞬時に解決されることもあった。

きっとこれからも、そうだろう。

だから、いつも神様に期待をしている。

今の大きな悩みは、

後の時代に必ず役に立つ時が来る。

そんな期待を持ちつつ・・・

2012年11月13日火曜日

僕が賛美をする理由

詩篇 100:4-5 JLB

 感謝の思いも新たに、神殿の門をくぐり、賛美の歌声とともに宮の内庭に入りなさい。 さあ、感謝してほめたたえなさい。  神様はいつも正しく、愛と思いやりに満ち、いついつまでも変わらない真実を示されるのです。



いつまでも変わらなかった。

いつまでも堅固な岩のように、

決して揺らぐことのないもの。

それこそ、創造者の存在であり、

永遠の愛だ。


だからいつでも賛美できる。

いつでもゴスペルを、心から喜んで歌える。

いつまでも変わらない主の愛が、

私たちを包みますように。

妄想と片思い

近年、妄想ってゆう言葉を使う人が増えているように思います。

また、偏った恋愛観を持っている人も増えているように思います。

僕はここに、共通点があると気が付きました。

このどちらも、個人的な思考の中で留まっているということ。



また、人を愛する事、

男性と女性が出会って、愛を育むことは、正しい、健全、

というイメージがありますが、この中に、はじめに述べた、

妄想と偏りが存在するとしたら、それは大きな問題に発展するわけです。



近年、報道される事件の数々は、

この、妄想と片思い(偏り)から生まれている物事が

多いように感じるのは僕だけでしょうかね?



だからいま、僕は言いたいんですよ。

妄想という枠から離れて、自分自身が感じたことを

誰かと共有しましょう。



片思いという枠から離れて、思い切って告白しましょう。

あなたが、何かを感じた時に、素直に告白する行為は、

神様が私たちに与えられた素晴らしい賜物だから。



傷つく事を恐れてはいけない。

あなた一人ではないから、

全能者はいつもあなたの傍にいるから、

大丈夫、めげないで!!


2012年11月12日月曜日

何枚目?何通目?


今年のマイブームは、

履歴書を送ることでした。

証明写真も、

かなりの数を写しました。

大変だけど、

とにかく前に進まなくちゃ。


FOR GOD SO LOVED


 ヨハネ福音書 3:16

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。


このみ言葉を、初めて読んだ時は、

なかなか理解出来なかったけど、

大人になってみると、非常にガツンと効きます。

こんな哀れな男をも、

神様は御子を使わして、

救ってくれた。

真っ直ぐな心で

詩篇 33:4-5 JLB

 神様のことばには偽りがなく、その行為にも裏切りはありえないのです。  神様はすべて正しいこと、良いことを愛しておられ、地上はそのやさしい愛で潤っています。



いつも直向きに歩んできた。

それほどまでに、神様は真実なお方だった。

決して裏切ることのないお方。

わたしという、一個の人間を、

心から愛してくれた。

神様の尊い愛によって、

守られてきたから、

これからも、神様を信頼してゆきたい。

ただ直向きに。 

2012年11月11日日曜日

世界中に響かせる為に、先ずは札幌から・・

イザヤ書 12:4-5 JLB

 この記念すべき日に、あなたは言うでしょう。 「神様に感謝し、御名をたたえよう。 世界中の人に、神様のすばらしい愛を伝えよう。 全く神様の力の偉大さは想像もできない。」  神様はすばらしいことをなさったのだから、神様に歌いましょう。 神様をたたえる歌声を世界中に響かせましょう。 



いろいろな方法で、神様を賛美したい。

札幌へは、毎週の礼拝賛美を導く働きと、

L.U.V.in JESUSの活動で行っているのだが。

色々と問題は大きい。



滝川から札幌へと移動するためには、コストがかかる。

時間とお金、その他色々・・・。

外回りの営業活動をされているビジネスマンの皆さんは、

札幌から滝川という距離は、決して遠くないはずだ。

労働者として、普通に営業活動をしているはずだ。

だとすれば、神様から導かれた仕事(仕える事)は、

決して遠くない、と、僕は思っている。



しかし、皆言うね、遠いって。

「どうして、札幌まで行って・・・」

今、与えられた行動は、すべてが神様から与えられたもの。

だから、この活動を大切にしてゆきたい、

ただ、それだけなのに、どうしてそんなに非難するのですか?


2012年12月9日 クリスマス・コンサート

2012年12月9日(日)11時より


(札幌市厚別区西2条2丁目2-6モンファーレット1階)

にて開催されるクリスマス・コンサートで

L.U.V.in JESUSが演奏することになりました。

(NPO法人 トライギア主催)

何かと慌ただしく感じる師走のひととき、

癒されに是非、お越しくださいね。



努力をし続けること

ピリピ人への手紙 3:13-14 JLB

愛する皆さん。 私は、まだその目標に達してはいません。 ただこの一事に、全力を注いでいます。 すなわち、過去に執着せず、前にあるものを望み見、  ゴールに到着してほうびを得るために、一生懸命努力しているのです。 このほうびを与えようと、神様は、私たちを天へと召しておられます。 それは、キリスト・イエスが成し遂げてくださったことに基づくのです。


信仰の姿は、

これが最高の姿、というものは無い。

己が、いま満たされていて感謝です、

と、言ったところで、

あなたの仲間内に認められることは無い。

そう、真実の信仰とは、

誰にも理解されず、誤解を受け続ける、

その中にある。

あなたが、誰にも理解されず、

周囲の無理解によって迫害を受けているその中に、

神はあなたに、手を指し伸ばしている。

さあ、神に向かって、手を差し伸ばそう。

そして、神に導いていただこう。

信仰の小道の歩き方を教えていただこう。

2012年11月10日土曜日

ABOVE ALL



あの暑いライブが懐かしい。

空調設備の無い森林の家で、賛美しましたねぇ。

L.U.V.in JESUSは現在、

某カフェでのミニ・ライブの練習等しております。

詳細は近日中にアップします。

2012年11月9日金曜日

ちっぽけなことを思うより

コロサイ人への手紙 3:2-4 JLB

天国のことで心が満たされていなさい。 地上のことをあれこれ気に病んではいけません。  一度死んだわけですから、この世に何の未練もないはずです。 あなたがたの真のいのちは、キリスト様と共に天の神様のもとにあるのです。  真のいのちであるキリスト様が再び戻って来られる時、あなたがたも彼と共に輝き、そのすべての栄光にあずかるのです。


この言葉を読みながら感じる事は、

悩みがある人間って、なんとちっぽけな事で

くよくよしているんだろうって。

いつも、神様のお約束を待ち望み、

心キラキラさせている事のほうが、

神様が喜ぶし、

まわりのみんなも、ウキウキするね。

2012年11月7日水曜日

生きています

ほぼ毎日の様にブログを書いていたのですが、

個人的な都合で、ネットに繋げられず、

ちょっとの期間、不便を感じておりました。

ご心配された皆様、

僕は生きておりますので、ご安心ください。

2012年10月25日木曜日

Praise The Lord Anyway !!

僕の人生。

晴れの日もあれば、雨の日もあり、

嵐の日もあれば、静寂の日もある。

しかし、どんな日であっても、決して変わらないものがある。

それこそ、創造者である神様、僕の人生のすべてを守り導く方。

そのような素晴らしいお方に守られているから、いつも賛美します。

たとえ、死の陰の中を歩むようなことがあっても、

いつも神様は、僕とともにおられます。

僕の眼には見えなくても、神様から注がれる尽きない愛情は、

いつも僕を取り囲んでいる。だから、だから、

神様、あなたを賛美します。

2012年10月24日水曜日

真実の仕事とは

使徒行伝 20:33-35 JLB

私はお金やぜいたくな衣服をほしいと思ったことなど、ただの一度もありません。  この手、この両手が、どれだけ自分の生活や、いっしょにいた人たちの必要のために働いたかは、よくご存じでしょう。  また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。 それは『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエス様のことばが、いつも頭にあったからです。」



僕は現在、無職です。もちろん無収入です。

でも、このような言い方は、この世の基準に合わせています。

神様の視点からは、けっして違うだろうと思うのです。




このパウロの発言にもあるように、

僕の生き方は、お金によるものではありませんでした。

確かに、その都度必要な物があったりして、

お金が無いと生活できなかったりしました。




そう思い返すと、人生の中でお金に振り回されている事が

あまりにも多いなぁと感じます。

しかし、神様の領域にはお金は存在しない。

お金は、人間が創りだしたもの。

このお金によって、人間の人生が決まってしまう程、

お金の存在は、この世の中を支配している。




でも、このお金の支配は、神様を支配できない。

神様は初めから存在されている。

この宇宙を創造し、私たちをも創ってくださり、

そして、生かしてくださる。




私はお金には支配されないが、

神様の熱い思いの中で生かされ、

大きな祝福を受けている。

だから、人生を生きてゆく時に、

その都度、必要な物のすべてを、

神様は備えてくださる。




だから、大丈夫、心配ない。

神様は必要なときに、

僕のするべき仕事を備えてくださる。

お金をも必要なときに

備えてくださり、

生活のすべてを養ってくださる。

それが神様だ。




世の多くの人々は、

今の時代、心のゆとりが無くなり、

お金に支配されている。

多くの債務に悩まされるとき、

人は、神様に助けを求めるゆとりさえ、

無くなってしまう。

それほど、お金の力は、恐ろしいものだ。




だから、僕はお金を信じない。

経済も逼迫しているほど、

多くの人々は、苦しんでいるから、

そう、多くの人々は、お金の問題で苦しんでいる。

だから僕は、神様の素晴らしい福音をお伝えするものとして、

この地上で、許される限り生きてゆく。

それが真実の仕事、

神様に仕える事だ。


2012年10月22日月曜日

最善の方法を選ぶ人生

詩篇 62:1-2 JLB

 私は黙って、神様から救いの手が差し伸べられるのを待ちます。 救うことができるのは神様だけですから。  神様こそ私の岩、私を救うお方、そして私のとりでです。 ですから、私には、困難にぶつかったからといって、おじ気づく理由は何もないのです。




この詩篇を通して、

人生の歩み方のポイントを学べた。





男性は特に、

人生を数十年生きると、

色々な経験を通ってきているので、

後輩たちに語りたがる。





でも、ここの詩篇の作者は、

誰かに「俺の人生はこうだったんだ」なんてことを

語っていない。

ただ、ひらすら

神様からの救いの手を待っている。

これこそ、神様が喜ばれる人生ではないか!





人間の方法を選べば、確かに良い道を選べて、

周りの人々の評価も高く、

多くの人々に受け入れられるのだろう。

しかし、神様が示される道は、

その真逆で、誰にも受け入れられずに、

もしかしたら、殺されるかもしれない。

それほど真剣に生きてゆかなければならない。





でも、神様の道は、

多くの祝福を受けて、注がれて、

豊かな人生を歩めるのだ。

僕は、この世の最善な方法を選ばずに、

救いの手を差し伸ばしてくださる

神様の方法を選びたい。





2012年10月21日日曜日

今、という時だからこそ

コリント人への第一の手紙 15:57-58 JLB


これらすべてのゆえに、どう神様に感謝したらよいでしょう。 神様は、主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださるのです。
そこで愛する皆さん、このように将来の勝利は確実なのですから、しっかり立って、動揺することなく、いつも、主の働きに熱心に励みなさい。 なぜなら、復活は確かであり、主のための働きが、決してむだ骨に終わらないことを、あなたがたは知っているからです。





天国へ行ける権利が与えられた私たちは、

天国に住むかのような生活も与えられています。

しかし、あまりにも悪の攻勢があるために、

神様からの真理に目が留められないまま、

人生を終わらせてしまう人々も少なくありません。

ですから、今を生きる私たちは、更に、

神様を求めてゆきましょう。

この地球は、すっかり汚れてしまいました。

神様の時は、すぐそこに近づいていますから。

2012年10月18日木曜日

近くにおられる間に

イザヤ書 55:6-10 JLB


尋ねることのできる間に神様を探し求めなさい。 近くにおられる間に呼び求めなさい。  悪事を捨て、悪いことをしようとする思いすら、きっぱり捨てなさい。 愛していただくために、主のもとへ帰りなさい。 私たちの神様のところへ帰りなさい。 何もかも赦してくださいます。
わたしの計画はおまえたちの考えつく計画とは違い、わたしの思いはおまえたちの思いと同じではない。  天が地より高いように、わたしの道はおまえたちの道より高く、わたしの思いはおまえたちの思いより高い。
雨や雪は天から降って来て地をうるおし、穀物を成長させ、農夫には種を、空腹な人にはパンを与える。 




自分の事ばかり考えると、

神様の世界が見えなくなってしまいます。

まるで、布団の中に顔を出さないような状況ですね。

昼になって、天候も晴れやか。

しかし、顔を出さないものだから、

いつまでも夜だと思い込んでしまう。




神様は紳士なので、

自分から気が付かせるように、

ちょっとしたエッセンスを与えてくださる。

そうすることで、自分自身が、

布団から顔を出すように導いてくださるのだ。




気がついたら、あれ?昼じゃん、みたいな(汗)




神様が計画された道に従って生きてゆくほうが、

一番シアワセなのは、自分が一番知っているのに、

そんな事も気が付かないのか僕は。




風と共にやって来られる神様と、

心ゆくまで、楽しみ喜びたい、

そのなかで、神様に自分の事を話そう。

そうすれば、心優しい方は、

僕の心の中に語りかけてくださる。




さあ、明日の夕からのひとときが、

楽しい時間だ。

神様に期待を込めて、

今日はぐっすり眠りたい。

あ、朝には起きますよ、もちろん!(笑)

2012年10月17日水曜日

Hallelujah☆GardenTV 2012年10月17日号


なにを血迷ったか、突然動画で語ってみた号

最後の住まい



多くの日本人は、死んた後の住まいとして、

霊的には極楽浄土、肉体的には石のお墓、

というような感覚であるように、

実は死については、非常に曖昧な人も少なくない。

もしかしたら、日本には数少ないキリスト教を信仰している人でさえも、

死について、曖昧な人が多いのが実情である。

それほど、死について、世に生きる人々にとっては

タブーな話なのかも知れない。




僕が若い頃は、お墓という存在は偶像のようであり、

先祖に護っていただきたいからこそ、

高価な投資をして立派なお墓を立てる。

非常に宗教的であり、また、大きなビジネスだなぁ、と。

しかし、大人になったいま、改めてお墓のことを考えてみると、

なんと愚かな思考だったことに気がついた。




最愛の人が亡くなった時、

遺族は悲しみを何処に持っていけばよいのだろうか?

「人間、死んだら何ものこらないさ」

ある人が言った。

本当にそうなのだろうか?

人として生きてきて、喜び、また悲しみ、

人生の四季を経験し、また、なんらかの影響を周りの人々に与えてきた、

最愛の人が無くなったら、なんにものこらないのか?




いや、そんなことはないだろう。

形には残らないものが確実にあり、

思い出が沢山あるのだ。




亡くなってしまった後には、

大抵は、決まった通りの順序で、

お葬式があり、お墓に入る。

やはり、決まった石のお墓。



ここに、生きてきた証し、

故人の人生は観えない。

これはなにか悲しくはないだろうか?



僕は、いろんな方々の死を観させていただいたし、

お葬式にも、参列させていただいた。

一番、悲しいことは、

決まったお葬式の流れで、

決まった故人の略歴を話し、

決まったお経を唱えて、

参列者は御坊様の説法を

上の空で聞いていること。



もっと故人を偲ぶ形があると思うのだ。

この「光り墓」は、

とても個性的でもあり、

愛する人を失くした遺族の方々の慰めになる思い、

宣伝させていただくことにした。




どうか、動画をご覧になっていただき、

供養について、考えていただきたい。

本当の供養とは、

故人の為ではなく、

自分が生きてゆくためのものだと、

僕は思っている。






2012年10月15日月曜日

繋がっているから安心?

ルカによる福音書 6:36-38 JLB

 天の父と同じように、あわれみ深い者になりなさい。  人のあら捜しをしたり、悪口を言ったりしてはいけません。 自分もそうされないためです。 人には広い心で接しなさい。 そうすれば、彼らも同じようにしてくれるでしょう。  与えなさい。 そうすれば与えられます。 彼らは、ますに押し込んだり、揺すり入れたりしてたっぷり量り、あふれるばかりにして返してくれます。 自分が量るそのはかりで、自分も量り返されるのです。




私たちの国籍は天にあり、

私たちは天の父と繋がっている。

だから、

天の父の御心を知っているのは当然のことであり、

天の父の言葉も、当然知っている。




というのが本当の意味でのクリスチャンなのだが。

僕は、どうだろうか?・・・・・・

日々、反省。日々、悔改め。




主よ、今日もわたしを憐れんでください。

そして明日も、主によって造り直された心を持って

歩めますように、導いてください。


2012年10月14日日曜日

そんな悲しいオチをつけるなよ

マルコによる福音書 8:35-36 JLB


いのちを守ることにばかり、あくせくしていたら、かえってそれを失います。 わたしと、この神のすばらしい知らせとのためにいのちを投げ出す者だけが、生きることの意味をほんとうに知るのです。たとい全世界を自分のものにしても、いのちを失ったら、何の得があるでしょう。 




多くの人々が、

自分の生き方を守ろうと必死になっている。

特に地方に住む者にとっては、

職場が無くなったり、

自分の存在自体が危うくなったりする事が多いので、

これはまさに死活問題である。




もしかしたら、教会という組織が、

守りの姿勢に入っているとすれば、

主イエスの語られた言葉を

非常に重く受け止めなければならない。




主イエスの周りを囲んでいた多くの人々の中に、

確実に居たのが、パリサイ派と律法学者だ。

主イエスの生きていた時代は、

現実問題としてローマ帝国に支配されていたのだが、

パリサイ派も律法学者も、

ユダヤ人が昔から信じてきていたものを

宗教活動として利用し、生活をしていたわけだ。




そう考えると、今の時代と全く同じだと、

自分の心にすんなり入ってきた。

どのような地位の人々も、

いつの日か、自分の地位を明け渡す時がやってくる。

そう思えば、今の地位はなんと弱くてちっぽけなものではないだろうか。




神は、そのちっぽけなものから、解放してくださる。

自分が必死に守り抜いてきているものは、

じつは一番厄介なもので、

神との距離を引き離してしまうもの、

というオチをつけては、

なんともったいない人生を歩んでいないだろうか。

You Are My All In All




どんなことがあっても、

神様がわたしのすべてであって、

わたしを守り導く。

それほど、心優しい方。

あなたを信頼します。

You Are My All In All

2012年10月13日土曜日

なによりも強い絆

ローマ人への手紙 8:38-39 JLB

神様の愛から私たちを引き離せるものは何一つない、と確信しています。 死にもいのちにも、そんなことはできません。 御使いにもできません。 地獄の全勢力を結集しても、神様の愛から遠ざけることはできません。 今日の恐れも、明日の不安も同様です。  あるいは、私たちがどこにいようと――空高くのぼっても、海の底深くもぐっても――私たちの主キリスト・イエスの死によってはっきり示された神様の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つありません。



正直言って、辛い事だらけです。

なにかと壁がある感じで、

前へも、後ろへも、

右へも、左へも、

進めていないように感じてます。



そんな中にあって、

今日の聖書の言葉に目が留まった。



「神様の愛から私たちを
引き離せるものは何一つ無い」



これってすごくね!?

いやぁ、前から沢山体験してることなのに、

忘れちゃうのでしょうね。



神様の深い恵み、計り知ることのない恵みを

いつも、体験できる事は本当に感謝です。



神様から頂いている愛情を、

いつも体験できて、

そして証し出来る環境に居られることも、

本当に感謝!

こころから、愛をありがとうと、神様あなたに叫びたい!

2012年10月12日金曜日

喜びを満たそう

歴代志上 16:31-34 JLB


 天は喜び、地は楽しめ。
全世界の国民は、『神様が世界の王だ』と言え。
 大海は鳴りとどろけ。
野とその中にあるものは喜び踊れ。
 森の木々も、神様の前で喜び歌え。
神様が地をさばきに来られるからだ。
 神様に感謝せよ。
その恵みは深く、愛といつくしみは限りない。



神様の領域を広げよう。

この世界は、闇に包まれているけれども、

創造主を知っている私達が心からの賛美を捧げれば、

神様は、神様と私達の間に豊かに存在されて、

私達も神様の素晴らしい輝きに照らされる。

神様は、そのような世界を望まれているから。

断捨離キャンペーン中

まだまだ転居の為の作業進行中。 完全なる転居作業終了は、 26日の旧住居の鍵の返納で幕を閉じます。 その前に、いろいろと処分するものが沢山あって、 今日は一番大きいモノを引き取っていただけました。 聖書の中の一節に 『地上では旅人であり寄留者である』という言葉のとおり、 自分自身...