ユダの手紙 1:20-21 JLB
しかし、愛する皆さん。 あなたがたは、今のきよい信仰を土台として、自分の生活を、いっそうしっかりと打ち立てなければなりません。 そして、聖霊様の力と励ましを受けて、祈る習慣を身につけなさい。
いつも、神様の愛のうちにいなさい。 そうすれば、神様から祝福がいただけます。 主イエス・キリストが下さろうとしておられる永遠のいのちを、忍耐強く待ち望みなさい。
愛によってつながる関係から、
喜びが生まれる。
真実の愛、本当の愛は、
増えてゆくものだと思う。
しかし、自己的な依存、
愛と思っていても、
実は、自分の寂しさを満たすだけの関係だと、
増えては行かず、廃れてゆくようだ。
僕は独身という道を選んで今まで生きてきたが、
今までの人生の中で多くの友人が生まれて、
その関係は、非常に豊かな関わりだと思う。
しかし、反面、
あまりにも短期間で消滅してしまった関わりも
現実問題として起きている。
その理由の一つは、
お互いの性格の不一致、と言うものもあるのだろうが、
友人という定義を間違えている人が多いのではないか?
と、思っている。
正しい関わりを作られない人が、
近年、増加しているように思う。
さて、本題。
折角、私達との関わりを喜び、
そして、もっともっと良い物にしてゆきたい、と
強く願っている方がいる。
それこそ、神様であり、イエス様だ。
救いに導かれた私たちは、
いつも神様によって歓迎を受けているから、
神様の御心の道を歩む事も
必要なことであり、
その見心の道を歩められるように、
常日頃、祈りつつ生活をしてゆきたくなる。
これはきっと、
神様が私達を愛してくださっているから、
その愛に応答するような心だと思う。
そう、大好きな人と一緒に歩みたくなるのが、
人間の持っている本来の心なんだと思う。
だから、いつも祈っていたい。
小さい頃、
画用紙で筒を作り、
底に薄い油紙を貼って、
糸電話を作った思い出がある。
さほど遠くはない距離で、
相手と、糸電話で会話を楽しむのである。
信頼の道というものは、
きっと、この糸電話のようなものだと思う。
神様との距離がありながらも、
その糸はいつもピンと張り、
神様の御心を聴き、
自分の祈りを神様に聴いてもらう。
そして、時には歩きながら、
時には腰掛けて。
神様と僕の歩調は、いつも同じで、
神様が僕の歩く速度に合わせてくださっている。
神様はとても紳士的であり、
心優しい方である。
そんな神様と、
糸電話で話してみませんか?
幼い頃の自分に帰って。
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