2011年10月27日木曜日

故郷では歓迎されない

ルカによる福音書 4:16-18, 20-24 JLB

 それからイエスは、少年時代を過ごしたナザレにお帰りになり、いつものように、土曜日に会堂へ行かれました。 聖書を朗読しようと席を立つと、  預言者イザヤの書が手渡されたので、次の個所をお開きになりました。
「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。
主は、貧しい人たちにこのすばらしい知らせを伝えるために、
わたしを任命された。
主はわたしを遣わして、
捕虜には解放を、
盲人には視力の回復を告げられる。
踏みにじられている人を自由にし、
主の恵みの年を告げられる。」
 朗読を終えると、聖書を閉じ、係りの者に返して、腰をおろされました。 みんなの目はいっせいにイエスに注がれました。  それにこたえるように、イエスはこう宣言なさいました。 「この聖書のことばは、今日、実現したのです。」
 人々はみなイエスをほめ、そのことばのすばらしさに驚きました。ところが一方では、「いったいどうなってんだ。 ただのヨセフのせがれじゃないか」とささやき合いました。
 そこで、イエスは言われました。 「たぶん、あなたがたは、『医者よ、自分を治してみろ』ということわざを引いて、『カペナウムで行なった奇蹟を、郷里でもしてみせろ』と言うのでしょう。  だが、はっきり言いましょう。 どんな預言者でも、故郷では歓迎されないものです。 

この聖書箇所は、最近の僕の心に響いている。
今までの活動を通して解ってきたこと。
このブログで詳細は書けない。
あまりにも深く、あまりにも重い。

もう、過去の方法を継続してゆくには、
無理が生じてきたように思う。

イエス様。
あなただけは
私の事を全てご存知です。
ですから、この全てをあなたにお委ねします。
私の内にある傷を癒し、
どうか私を癒してください。
そして、あの鷲のように、
翼を広げて大空を舞うような者へと
創りかえてください。

主イエスのお名前によって、アーメン。


1 件のコメント:

  1. この、イザヤ書の御言葉、20年ほど前に、毎日毎日告白してました。大きな模造紙にマジックペンで書いて、壁に貼って。

    パワフルな御言葉です。

    告白したら、そのとおりに、ついつい日々伝道していました。

    御言葉は、とにかく告白したら、そうなっちゃうよ。

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