2012年9月30日日曜日

愛でつながる

ユダの手紙 1:20-21 JLB


しかし、愛する皆さん。 あなたがたは、今のきよい信仰を土台として、自分の生活を、いっそうしっかりと打ち立てなければなりません。 そして、聖霊様の力と励ましを受けて、祈る習慣を身につけなさい。
いつも、神様の愛のうちにいなさい。 そうすれば、神様から祝福がいただけます。 主イエス・キリストが下さろうとしておられる永遠のいのちを、忍耐強く待ち望みなさい。 




愛によってつながる関係から、

喜びが生まれる。

真実の愛、本当の愛は、

増えてゆくものだと思う。




しかし、自己的な依存、

愛と思っていても、

実は、自分の寂しさを満たすだけの関係だと、

増えては行かず、廃れてゆくようだ。




僕は独身という道を選んで今まで生きてきたが、

今までの人生の中で多くの友人が生まれて、

その関係は、非常に豊かな関わりだと思う。



しかし、反面、

あまりにも短期間で消滅してしまった関わりも

現実問題として起きている。



その理由の一つは、

お互いの性格の不一致、と言うものもあるのだろうが、

友人という定義を間違えている人が多いのではないか?

と、思っている。



正しい関わりを作られない人が、

近年、増加しているように思う。



さて、本題。

折角、私達との関わりを喜び、

そして、もっともっと良い物にしてゆきたい、と

強く願っている方がいる。

それこそ、神様であり、イエス様だ。



救いに導かれた私たちは、

いつも神様によって歓迎を受けているから、

神様の御心の道を歩む事も

必要なことであり、

その見心の道を歩められるように、

常日頃、祈りつつ生活をしてゆきたくなる。



これはきっと、

神様が私達を愛してくださっているから、

その愛に応答するような心だと思う。

そう、大好きな人と一緒に歩みたくなるのが、

人間の持っている本来の心なんだと思う。



だから、いつも祈っていたい。



小さい頃、

画用紙で筒を作り、

底に薄い油紙を貼って、

糸電話を作った思い出がある。



さほど遠くはない距離で、

相手と、糸電話で会話を楽しむのである。



信頼の道というものは、

きっと、この糸電話のようなものだと思う。



神様との距離がありながらも、

その糸はいつもピンと張り、

神様の御心を聴き、

自分の祈りを神様に聴いてもらう。




そして、時には歩きながら、

時には腰掛けて。




神様と僕の歩調は、いつも同じで、

神様が僕の歩く速度に合わせてくださっている。




神様はとても紳士的であり、

心優しい方である。




そんな神様と、

糸電話で話してみませんか?

幼い頃の自分に帰って。


2012年9月27日木曜日

信頼の戦い

詩篇 42:1-3 JLB

 ああ神様。 鹿が水をあえぎ求めるように、私も神様を慕い求めます。  焼けつくような渇きを覚えながら、私は生きておられる神様を慕っています。 どこへ行けば、お目どおりがかなうのでしょうか。  昼も夜も涙にむせびながら、神様のお助けを祈っています。かたわらでは敵が、「おまえの神様とやらはどこへ行ったんだ」とあざけるのです。




毎日が戦いである。

信頼の道を歩む者たちにとって、

あるときは大きな問題や試練、

そしてあるときは、誰にも気が付かれないほどの小さな悩み。

そのような状況が、信頼の道を歩む者たちにとって、

毎日続くのである。

まさに戦い。霊的な最前線である。




僕は、毎日のように神様を信頼しながら歩んでいるのだが、

ある人は、僕に対して疑いの目を向ける。

まるで、この箇所に出てくる者のように、

僕に問いかけるのだ。

「おまえの神様とやらはどこへ行ったんだ」




神様は、生活便利品のようなお手軽な道具でもなければ、

石像の様なものでもない。

仏閣にも居ないし、教会にも居ない。

初めから存在されている方であり、

私を愛してくださる方。

とても大切にしてくださり、

紳士的なお方である。

み言葉を開けば、必ず語りかけてくださる。

ほんとうに素晴らしいお方なのだ。




焼け付くような日差しの強い、

草木が育たないような場所にも

神様は居られる。




だからこそ、神様を信頼して歩めるのだ。

神様は組織を造らず、

階層も造らない。

だからこそ、信頼出来る方である。



涙があふれる



「幸福の王子」という童話を知ったのは、

恥ずかしながら、大人になってからでした。




何年前だったか、某出版社より、

曽野綾子さんが訳されたバージョンが発売されて、

興味があり購入したのですが、

読んでみると、非常に奥深い内容で、

僕は、涙を抑えることが出来ずに、

というか、号泣してしまいました。




客観的に、大人が童話の本を読んで号泣ってどうよ。

と、言われそうですが、

それほど素晴らしい作品でした。




昨日、ちょっとしたことがあり、

その内容にリンクしたのか、

自分が過去にこの作品を読んだ事を思い出したのです。

王子様の心を受け取る事が出来たのかもしれません。

そして、ツバメの行動も理解できました。




これを読んでいる皆さんは、色々な生育環境があるので、

一つの作品を読んでも、皆が同じ意見を言うことは無いでしょう。

しかし、この作品は、人間が生きてゆくために、

本当に必要なことを説いているように感じます。




やはり、ここに描かれているものは、

愛をもって与え続ける心があるのではないかと。

第三者の視点で見ると、王子様の考えていることも、

ツバメの考えていることも、理解に苦しむのかも知れません。




しかし僕は、王子様とツバメの間にあった愛を思うときに、

涙がポロポロとあふれてくるのです。




2012年9月25日火曜日

6000カウントありがとうございます。

毎日じゃないけれど、

ブログという形で、自分が何気に感じた事を書き続けて、

日本のみならず、海外からも、多くの方々がこのブログをみてくださり、

本当にありがとうございます。


皆さんのお名前は知りませんが、なにか興味があって、

舘内孝夫という一個の人間の、感じている事を、

文章という表現を読んでいただき、ほんとうにうれしいです。

これからも、もっともっといろいろな物事があると思いますが、

どうか暖かく見守ってください。

よろしくお願いします。

2012年9月25日 雨降りの夜   舘内孝夫



ヨハネによる福音書 7:38 JLB

わたしを信じれば、心の奥底からいのちの水の川が流れ出ると、
聖書(旧約)に、はっきり書いてあるでしょう! 

2012年9月24日月曜日

ただ、神様の臨在を求めてゆく

詩篇 27:4 JLB

 私が神様にお願いすることは、ただ一つです。 その求めてやまないものとは、主の宮で黙想にふけり、いのちある限り主の前で暮らし、主の比類なき完全と栄光とを喜ぶ特権です。 




僕が求めることは、

ただ、神様の臨在。

神様を思うときに

すぐそばにいてほしい。




神様は聖なる日には、

風の中を歩まれる。

私達の間を通り抜けられる。

気が付かない程の弱い風の中にもおられる。

神様はそれ程、私達と関わりたいのだ。




さて、ある人は

神様を信じると言いながらも

神様が私達に与えられた戒めを守らず、

好き勝手に人生を歩む。

そういう人は

神様の真を知らずに生きている。




世界の人々よ

神の約束に目を留めるべき時がやってきた。

僕はさらに、神様の戒めを思い起こそう。

あなたに行ってもらいたいのです




僕自身がそろそろ、

次のステップに導かれているんだな、

ということが理解できるようになってきた。

環境も心境も、なにかしら変わってきているから。

しかも、神様がすべてをご準備されていることを、

強く感じているからだ。



すべては、神様がなさること。

だから、僕自身は、ただ期待して待っている。

近いうちに、滝川を離れる事になるだろう。

そして、神様によって新しい場所へと導かれる。





行き先は、、、まだ決まっていないけど、

きっと神様が導く場所は最善の場所。

そう信じている。



そんなことを思っているときに、この賛美を思い出した。



「あなたに行ってもらいたいのです」




イエス様もきっと、僕に向かってこう言っているんだろうと。

喜んで、この言葉を受け取ります。

ハレルヤ!!


2012年9月23日日曜日

形のない大切な場所

詩篇 27:1-7 JLB


 主は私の光、また救いです。 だれを恐れる必要がありましょう。 私を亡き者にしようと襲いかかる悪者は、つまずき倒れます。  たとい大軍が押し寄せようとも、こわくありません! 必ず神様が救ってくださると信じているからです。

 私が神様にお願いすることは、ただ一つです。 その求めてやまないものとは、主の宮で黙想にふけり、いのちある限り主の前で暮らし、主の比類なき完全と栄光とを喜ぶ特権です。  悩みの日に、私はそこへ出かけます。 主はかくまってくださり、高い岩の上に座らせて、  敵が手出しできないようにしてくださいます。 その時、私は主に供え物をささげ、大喜びで賛美の歌をうたいます。  私の訴えに耳を傾けてください。 主よ。 あわれんで、お助けください。



聖なる安息日を守り

神様の言葉を味わい

神様の祝福を味わう

これほど素晴らしいことは無いだろう。




この地上にある、どんな素晴らしい場所よりも、

美しい場所。

その場所には、形が無い。

神社仏閣にも無ければ、教会堂にも見つけられない場所。

そここそ、聖なる全能者が居られるのである。




だから僕は、そこへいつも行くのである。

この地上の最も美しく、素晴らしい場所は。

神が特別にそなえられた安息の場所。



2012年9月21日金曜日

成長した暁には

ピリピ人への手紙 1:3-6 JLB

 あなたがたを思う私の祈りは、いつも神様への賛美にあふれています。
 そして、私の心は喜びに満たされるのです。
 それは、あなたがたが、キリスト様についての良い知らせを、初めて聞いた日から今日まで、全力をあげて、その知らせを宣べ伝える働きに協力してくれたからです。
 あなたがたの内面に良い働きを始めた神様は、引き続き、必ずそれを恵みのうちに成長させ、やがてキリスト・イエスが帰って来られる日に、ついに完成してくださると、私は堅く信じています。




いったい、いつまで・・・・・

僕の悩みはいつまでも続いてきた。

僕の苦しみはいつまでも続いてきた。




だから、神様を呼ぼう!

唯一の方法、素晴らしい救いは、

真の創造者から来るからだ。

この終わりの時代にあって、

ずうっと祈ってきた、求めてきた。




神様が再び来られることを待ち望んできた。

いつの日か、必ず戻って来られる主を、

期待しながら、油を絶やすこと無く、

待っていたい。

2012年9月19日水曜日

わたし、と、あなた

ローマ人への手紙 12:1-3 JLB


愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 自分の体を神様にささげてください。 それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。

  世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。 むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。

 私は、神様の使者として、あなたがた一人一人に神様の警告を伝えます。 自分を正直に評価しなさい。 神様からどれだけの信仰を与えられているかを尺度にして、自分の値打をはかりなさい。




 神様がいてくださったからこそ、

自分がここに生きている。



自分が、この場所で生きていることは、

神様からの素晴らしいプレゼントである。



神様と私の関係は、

「わたし」と「あなた」の関わりであり、

「わたし」と「なにか」の関わりでも無く、

「わたし」と「それ」の関わりのような

都合の良い関係ではない。



だからこそ、神様の所有となり、

神様の名前がついているものである。



僕は、神様から離れたくない。

そろそろ、ソロ活動を・・・



長い間、ゴスペル・クワイヤーのピアノ伴奏や、コンダクターを務めて

今まで、「伴奏者」としての音楽活動をしてきました。

出来るだけクワイヤーの参加者が盛り上がる曲作りであったり、

ソリストが緊張感よりも楽しんで歌える曲を選んだり、

また、指導してきました。




つい一年ほど前より

「舘内さんの歌声には、誠実さがあるね」

とか

「癒されるね」

「感動しました」等、

いろいろな感想をいただいております。

ただ、今までの自分は、

音楽活動をしている事自体を

積極的に表に出さずに生きてきましたもので、

可能な限り、隠れていました。

もっと上手な方々も沢山いらっしゃるのでね。





でも、最近、あれ?なんか違う、と

気がつきました



あるイベントでの、ちょっとした事で、

目が開かれました。



聴衆は、音楽の上手い下手に関係なく、

音楽を奏でる人を尊敬し、

その場を楽しんでいる事に。




もし、そうであるなら、

自分自身は、気がつくのが遅かったかなぁ?

なんて、思いました。




僕自身の育った環境故か、

僕の演奏を聞く家族は、

「下手くそ!」とか「聴いてられない!」とか、

他にも色々、

非常に厳しい言葉を僕自身に投げつけて、

それを鵜呑みにして育ってきましたもので、




僕の心の根底には、

僕が目立ってしまっては、

聴衆に非常に失礼になる!

と、信じておりました。今までね。



今後は、過去に浴びせられた価値観に囚われること無く、

大好きな歌を表現出来たらと、思っております。




Youtubeに載せた、“Honestry”は、

色々な方に聞いて頂き、

プロの方々にも良い評価を頂いております。

なので、これからも歌い続けたいです。




純粋に、楽しんで、歌い続ける、

神様の素晴らしさをお伝えする

表現者の一人として。

今後も活動を続けてゆきます。

関係者の皆様、また、僕の音楽を楽しんで

聞いてくださる皆様、

今後共、どうぞよろしくお願いします。

2012年9月11日火曜日

JESUS ON THE MAINLINE !!



主イエスが、僕にしてくださる真実は、

生まれる前から計画されていたものだった。




今あらためて、主を賛美したい。

そして、主イエスを知らない人々に、

彼の素晴らしい福音を伝えてゆきたいのだ。




JESUS ON 
THE MAINLINE!!




この賛美は、一昔くらい前から知っている歌で、

以前、指導していたクワイヤーのレパートリーの一曲だった。



今回、札幌で教えようと思ったのは、

今という時代がまさに、

終りの時代だから。
 
今、繋がっている人々すべてに、

この歌を、メッセージとして伝えたい。



今これを読んでいるあなたは

どこのラインに繋がっていますか?

そのラインは、どこにありますか?

人生の答えは、彼が知っています。




「主イエスは、メインライン 彼を呼ぼう!

多くの力が必要なら 彼を呼ぼう!」

育む力

ヘブル人への手紙 10:32, 35, 38-39 JLB

 初めてキリスト様を知ったころの、祝福されたすばらしい日々を、いつまでも忘れないようにしなさい。 また、死ぬほどの苦しみに会いながらも、主と共に戦い抜いてきた事実を、いつも心にとめていなさい。


  このような、すばらしい祝福が待っているのですから、どんなことがあっても、主を信じ続けなさい。 やがて主から受ける報酬を、いつも思い起こしなさい。  信仰によって、神様の前に正しいと認められた人たちは、どんなことででも主を信じ、信仰によって生きなければなりません。 しりごみするような人を、神様は喜ばれません。
しかし私たちは、神様に背を向けたり、みじめな結果を見たりしたことは、これまで一度もありませんでした。 かえって、神様を信じる信仰が、たましいの救いを確実にしてくれるのです。





初心、忘るべからず、そんな言葉を思い出した。

確かに、自分自身の人生のスタートを飾ったのは、

主イエスを信じた、あの時から。

過去の、辛い記憶は確かにあるのだが、

それに比べて、新しい喜びの方が、僕には大きいのである。




これは、信仰の道というのだろう。

その道には、色々な問題が確かにあった。

これからも、あるのだろう。

しかし、神が僕にして下さったことの大きさ故に、

それぞれの問題は、小さい小石のようだ。




ある人は、小石のような、その問題に躓き、

いつまでも起き上がれない人も、存在する。

しかし、愛のある天の父は、

あるときは、手を差し伸べて立ち上がらせ、

そしてあるときは、己が立ち上がるように促す。




父親の愛情は、いつも感心させられる。

そのような、深い愛情によって、

僕は育まれて、いま、ここに生きている。

2012年9月7日金曜日

父親の愛

ヨハネによる福音書 16:22-24, 33 JLB

 今は悲しみでいっぱいでしょう。 だがわたしは、もう一度あなたがたに会います。 その時あなたがたは、だれにも奪われない喜びにあふれるのです。  その時には、何一つわたしに求める必要はありません。 直接父に求めることができるからです。 父は、わたしの名前で求めるものは何でも、与えてくださいます。  今までこのような求め方をしたことはありませんね。 わたしの名前で求めなさい。 そうすれば与えられ、あなたがたは喜びに満ちあふれるのです。


 あなたがたも、心配しないで、安心していなさい。 こんなにも、念には念を入れて話してあげたのは、そのためなのですから。 確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。 しかし、元気を出しなさい。 わたしはすでに世に勝ったのです。」イエスの祈り




父親は、仕事熱心で寡黙。

しかし、家庭の事に対しては決して無関心ではない。

家族を大切にしているからこそ、

直向きに働くのが父親の姿なのだと思う。



創造者である父の存在も、同じように

仕事熱心で寡黙である。

将来の計画に向かって、直向きに仕事をしているのである。

その父親の愛情を、この世の人々に理解できるように

この地上に来られたのがイエスである。



三年間も、イエスと一緒に生活しながらも

弟子たちは、理解できなかった。

わからない事だらけで、イエスの言動を受け入れるために

多くの時間を必要としていた。

しかし、ある時、突然に

イエスの御心を知ることが出来るのである。



この世の中の多くの働き、

誰かに何かを伝えたいのに、

なかなかうまく行かないことが

自分の周りに、

また、これを読んでる皆さんの周りに

沢山あるのだろう。



あの神の御子、イエスでさえも

自分の弟子なのに、

理解できない彼らを見て

祈らずには居られなかったのかもしれない。



人間関係について、

僕は、小さい頃から悩み続けた。

拗れた親子と兄弟関係から、

人に対する恐怖心が芽生えたのかもしれない。



しかし、この幼少期からの訓練は、

あるときに、花ひらく。



今となっては、交友関係も豊かになり、

全国に友人が生まれるほど、

色々な面で豊かになった。



これは、やはり

天に居られる、私を創りあげた神、天の父が、

そのように、大事に育ててくれたに違いない。

そのように思い出されると、

なんと創造主の愛というものは

非常に豊かであり

非常に奥深いものである。



イエスが弟子たちとともに歩んだ時間も、

私自身が、悩みに悩んで歩んだ大人までの時間も、

この世にいのちを受けた者にとって

必要なものであることが、

大人になって初めて、理解出来たと思う。


2012年9月5日水曜日

The Service

詩篇 68:19-20 JLB


 神様はすばらしいお方です。
 日ごとに私たちの重荷を肩代わりして、
救いの手を差し伸べてくださるのです。


 神様は私たちを解き放ち
死から救い出されます。





言葉では言い表せない程に、ステキな神様。

想像もつかないような高い山の上にいても、

光が全く差し込まないような低い谷の中にいても、

創造者の愛は私に注がれている!

2012年9月4日火曜日

本が届きました。

先月参加した、

原水爆禁止世界大会の本が届きました。

上手くまとめられています。

忘れかけた内容も思い出しました。

ご注文は日本原水協へ。



昨夜は、広島でお友達になった人と

チャットをやっていまして、

また、広島へ行きたいなと思っていました。



2012年9月3日月曜日

祝福の雫

ローマ人への手紙 12:12, 15-16 JLB

あなたがたのために神様が計画しておられることすべてを喜びなさい。 
困難の中でじっと耐え、常に祈りなさい。  
だれかがしあわせな思いで喜んでいる時には、いっしょに喜んであげなさい。 
悲しんでいる人がいたら、いっしょに悲しんであげなさい。  
互いに心を一つにし、楽しく働きなさい。 
お高くとまってはいけません。 偉い人に取り入ろうとせず、
かえって、平凡な普通の人々と喜んで交際しなさい。 
何でも知っているなどと、思い上がってはいけません。



総てのことは、全能者から流れてきています。

もし、そのことが、自分自身にとって苦しみであったとしても、

神の目から見れば、それは僕にとっての最高の出来事であり、

最善へと導く鍵であることを、忘れてはならない。




だからこそ、神様に期待をして、歩み続けたい。

人間の知恵は、人間の間だけに通じるものであり、

俗に言われる「世渡り上手」程、神の前に愚かだと思う。

さて、僕は、この手紙に書かれている薦めに従い、

常に祈るものでありたい。




喜んでいる人に対しては、一緒になって喜び、

悲しんでいる人に対しては、同じように一緒に悲しみたい。

と言うことは、不便を強いられている人に対しても、

同じように、その人の立場になって祈りたいのだ。

これは長い人生経験から生まれた賜物なのだと思う。




川の流れは、初めから川が在るのではない。

山から集まった、一滴の雫から生まれる。

私達の人生の、その道を歩む結果として生まれてきたものは、

若い頃に経験した、ほんの些細なことから、生まれてきたのだと思う。

それこそ、祝福の雫(しずく)なのだと思う。




全能者から頂いた、その雫を、

心ゆくまで楽しみ、そして苦しみ悩みながらも、

祈り問うて歩みたいのである。

2012年9月1日土曜日

映画「ひろしま」上映会は本日です



本日、9月1日、映画会を開催します。

「ひろしま~1945年8月6日、原子雲の下の真実~」

決して新しくない映画が、今、注目されています。

ようやくこの映画に注目される時代に入ったのかもしれません。

必見の価値有りです。

是非、ご覧頂きたい。


会場は、滝川まちづくりセンター“みんくる” 午後2時より4時まで。

無料駐車場は上階にあります。ミスタードーナツ向かい、西沢家具店隣。

入場料500円、高校生以下無料です。



断捨離キャンペーン中

まだまだ転居の為の作業進行中。 完全なる転居作業終了は、 26日の旧住居の鍵の返納で幕を閉じます。 その前に、いろいろと処分するものが沢山あって、 今日は一番大きいモノを引き取っていただけました。 聖書の中の一節に 『地上では旅人であり寄留者である』という言葉のとおり、 自分自身...