詩篇 42:1-3 JLB
ああ神様。 鹿が水をあえぎ求めるように、私も神様を慕い求めます。 焼けつくような渇きを覚えながら、私は生きておられる神様を慕っています。 どこへ行けば、お目どおりがかなうのでしょうか。 昼も夜も涙にむせびながら、神様のお助けを祈っています。かたわらでは敵が、「おまえの神様とやらはどこへ行ったんだ」とあざけるのです。
毎日が戦いである。
信頼の道を歩む者たちにとって、
あるときは大きな問題や試練、
そしてあるときは、誰にも気が付かれないほどの小さな悩み。
そのような状況が、信頼の道を歩む者たちにとって、
毎日続くのである。
まさに戦い。霊的な最前線である。
僕は、毎日のように神様を信頼しながら歩んでいるのだが、
ある人は、僕に対して疑いの目を向ける。
まるで、この箇所に出てくる者のように、
僕に問いかけるのだ。
「おまえの神様とやらはどこへ行ったんだ」
神様は、生活便利品のようなお手軽な道具でもなければ、
石像の様なものでもない。
仏閣にも居ないし、教会にも居ない。
初めから存在されている方であり、
私を愛してくださる方。
とても大切にしてくださり、
紳士的なお方である。
み言葉を開けば、必ず語りかけてくださる。
ほんとうに素晴らしいお方なのだ。
焼け付くような日差しの強い、
草木が育たないような場所にも
神様は居られる。
だからこそ、神様を信頼して歩めるのだ。
神様は組織を造らず、
階層も造らない。
だからこそ、信頼出来る方である。
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