ヨハネによる福音書 16:22-24, 33 JLB
今は悲しみでいっぱいでしょう。 だがわたしは、もう一度あなたがたに会います。 その時あなたがたは、だれにも奪われない喜びにあふれるのです。 その時には、何一つわたしに求める必要はありません。 直接父に求めることができるからです。 父は、わたしの名前で求めるものは何でも、与えてくださいます。 今までこのような求め方をしたことはありませんね。 わたしの名前で求めなさい。 そうすれば与えられ、あなたがたは喜びに満ちあふれるのです。
あなたがたも、心配しないで、安心していなさい。 こんなにも、念には念を入れて話してあげたのは、そのためなのですから。 確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。 しかし、元気を出しなさい。 わたしはすでに世に勝ったのです。」イエスの祈り
父親は、仕事熱心で寡黙。
しかし、家庭の事に対しては決して無関心ではない。
家族を大切にしているからこそ、
直向きに働くのが父親の姿なのだと思う。
創造者である父の存在も、同じように
仕事熱心で寡黙である。
将来の計画に向かって、直向きに仕事をしているのである。
その父親の愛情を、この世の人々に理解できるように
この地上に来られたのがイエスである。
三年間も、イエスと一緒に生活しながらも
弟子たちは、理解できなかった。
わからない事だらけで、イエスの言動を受け入れるために
多くの時間を必要としていた。
しかし、ある時、突然に
イエスの御心を知ることが出来るのである。
この世の中の多くの働き、
誰かに何かを伝えたいのに、
なかなかうまく行かないことが
自分の周りに、
また、これを読んでる皆さんの周りに
沢山あるのだろう。
あの神の御子、イエスでさえも
自分の弟子なのに、
理解できない彼らを見て
祈らずには居られなかったのかもしれない。
人間関係について、
僕は、小さい頃から悩み続けた。
拗れた親子と兄弟関係から、
人に対する恐怖心が芽生えたのかもしれない。
しかし、この幼少期からの訓練は、
あるときに、花ひらく。
今となっては、交友関係も豊かになり、
全国に友人が生まれるほど、
色々な面で豊かになった。
これは、やはり
天に居られる、私を創りあげた神、天の父が、
そのように、大事に育ててくれたに違いない。
そのように思い出されると、
なんと創造主の愛というものは
非常に豊かであり
非常に奥深いものである。
イエスが弟子たちとともに歩んだ時間も、
私自身が、悩みに悩んで歩んだ大人までの時間も、
この世にいのちを受けた者にとって
必要なものであることが、
大人になって初めて、理解出来たと思う。
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