2012年4月26日木曜日

コリント人への手紙第二 3章14節〜

http://bible.us/2Cor3.14.JLB
覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。 イスラエルの人々の思いや、理解力も、覆われたのです。 今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の心と思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。 というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。 この覆いは、キリスト(油注がれた主イエス)様を信じてはじめて、取り除かれるのです。  確かに、今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままです。 それで、「十戒」に従うことこそ救われる道だ、と考えているのです。 しかし、だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。  主は、いのちを与えてくださる御霊です。 御霊のおられるところには自由があります。〔それは、神のおきてを守って救われようとすることからの解放です。〕  しかし、私たちクリスチャンには、顔の覆いがありません。 鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。 そして、主の御霊がうちで働いてくださるにつれて、私たちはますます主に似た者となるのです。

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