2013年2月24日日曜日

これこそ神の御心

ヨハネの第二の手紙 1:12 JA1955

あなたがたに書きおくることはたくさんあるが、紙と墨とで書くことはすまい。むしろ、あなたがたのところに行き、直接はなし合って、共に喜びに満ちあふれたいものである。

ヨハネの第三の手紙 1:13-14 JA1955

あなたに書きおくりたいことはたくさんあるが、墨と筆とで書くことはすまい。 すぐにでもあなたに会って、直接はなし合いたいものである。


現代社会において、インターネット環境と
 それに繋がるPC、そしてスマートフォンなどが充実し、
 便利な社会環境となっている。
しかし、この便利で安心と思えるような時代の中で、
 私たちは、基本的なコミュニケーションを忘れてはいけない。



新改訳聖書では、ヨハネの第二の手紙の同箇所を
 「~あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたい~」

また、ヨハネの第三の手紙の同箇所では
 「間もなくあなたに合いたいと思います。
 そして顔を合わせて話し合いましょう。」と書かれてあり、



電子メールやウェブチャットなどで、遠い国からでもリアルタイムに
コミュニケーションが簡単に可能な社会になった今だからこそ、
 本当の意味での「リアル」を知る事、
 顔と顔を合わせて交わることが求められてはいないだろうか。


現代社会を観るだけでも、世の終わりは近いと強く感じている僕だが、
 もし、それが本当に今、そうであるならば、
 主イエスが言われた言葉をもう一度思い出そう。



マタイ福音書24:15~
「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの
『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、
(読者はよく読み取るように。)
 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。・・・」


二千年前の人々は、荷物を持たなくても
生きてゆける能力があり、生活の中で知恵があったので、
何不自由なく暮らしてゆけたはずだ。


しかし、現代人は何かと、それ携帯電話だスマートフォンだ、
と何らかの電子機器に依存してはいないだろうか。
(という僕自身も、このブログを書くために、PCやタブレット端末を利用しているが)


神様が一番嫌っていることは、『荒らす憎むべき者』の存在である。
それってどういう存在だろうか?
神様は、ヨハネの手紙を書いた作者のように、
私たちと直接、顔と顔を合わせて語りたい、という思いで満ち溢れている。


そうであるならば、『荒らす憎むべき者』とは、
神様の御心から、私たちを逸らす存在であり、
今、巷で騒がれているSNS(ソーシャルサービス)や
メール・チャット依存のような人間を作り出してしまう
インターネット・サービスが問題になっているように思うのである。


神様の御計画の時がきたら、
今ある環境を全て捨てて、従ってゆく本気の姿勢が必要だ。
神の御声があなたに聞こえたその時に、
あなたは即座に、今の持ち物を捨てて、
神様に従う事が 求められている。
これを読んでるあなたには、その本気の心がありますか?


ちなみに主イエスより先に、神様への道を示したバプテスマのヨハネは
このように伝道していた。

「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから。」

わたしたちクリスチャンも、そうじゃない人々も、
神の御前に、悔い改める必要がある。

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