2012年10月14日日曜日

そんな悲しいオチをつけるなよ

マルコによる福音書 8:35-36 JLB


いのちを守ることにばかり、あくせくしていたら、かえってそれを失います。 わたしと、この神のすばらしい知らせとのためにいのちを投げ出す者だけが、生きることの意味をほんとうに知るのです。たとい全世界を自分のものにしても、いのちを失ったら、何の得があるでしょう。 




多くの人々が、

自分の生き方を守ろうと必死になっている。

特に地方に住む者にとっては、

職場が無くなったり、

自分の存在自体が危うくなったりする事が多いので、

これはまさに死活問題である。




もしかしたら、教会という組織が、

守りの姿勢に入っているとすれば、

主イエスの語られた言葉を

非常に重く受け止めなければならない。




主イエスの周りを囲んでいた多くの人々の中に、

確実に居たのが、パリサイ派と律法学者だ。

主イエスの生きていた時代は、

現実問題としてローマ帝国に支配されていたのだが、

パリサイ派も律法学者も、

ユダヤ人が昔から信じてきていたものを

宗教活動として利用し、生活をしていたわけだ。




そう考えると、今の時代と全く同じだと、

自分の心にすんなり入ってきた。

どのような地位の人々も、

いつの日か、自分の地位を明け渡す時がやってくる。

そう思えば、今の地位はなんと弱くてちっぽけなものではないだろうか。




神は、そのちっぽけなものから、解放してくださる。

自分が必死に守り抜いてきているものは、

じつは一番厄介なもので、

神との距離を引き離してしまうもの、

というオチをつけては、

なんともったいない人生を歩んでいないだろうか。

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